“サッカー王国”はなぜ低迷したのか 24年ぶり優勝の静岡学園、「個性」への原点回帰

Football ZONE web / 2020年1月14日 18時15分

■埼玉、広島と並ぶ“御三家” Jリーグ創設以降に地域間格差が解消し低迷

 第98回全国高校サッカー選手権は13日、埼玉スタジアムで決勝が行われ、静岡学園(静岡)が連覇を目指した青森山田(青森)を3-2の逆転で破り、24大会ぶり2回目の栄冠に輝いた。前回の1995年度大会は鹿児島実(鹿児島)と優勝を分け合ったため、これが初の単独制覇となる。

 かつて静岡県は埼玉県浦和市(現・さいたま市)、広島県とともに「サッカー御三家」と称賛されたほど高校サッカーが地域に深く根差し、強豪チームが全国で猛威を振るっていた。

 その始まりは藤枝東で、1962年度の第41回大会で静岡県勢として初優勝すると、翌年には連覇を果たし計4度の選手権制覇を遂げた。66年度にはインターハイ、国民体育大会、高校選手権を制し、史上初の3冠を獲得。その後は清水市(現・静岡市)の高校が台頭し、82年度の第61回大会で清水東が初優勝、第64回大会では清水商(現・清水桜が丘)、翌年は東海大一(現・東海大静岡翔洋)、さらに清水商は第67、72回大会でも高校日本一になり、インターハイや全日本ユース選手権も勝ち、小野伸二(現・FC琉球)や名波浩ら数え切れないほどのスター選手を輩出してきた。

 静岡学園は首都圏開催に移行した76年度の第55回大会に初出場し、埼玉・浦和南との決勝で5-4という壮絶な点取り合戦を演じて準優勝。常にゆったりとしたリズムで攻め、長いキックは一切使わず、ドリブルとショートパスで攻撃を組み立てた。それはこのちょうど1年半前、74年の西ドイツ・ワールドカップでヨハン・クライフを擁するオランダ代表が、「トータルフットボール」と呼ばれる近代的な戦術を引っ提げ、世界中を驚かせた衝撃に似ていた。いずれも敗者のほうが称賛された点でも共通している。

 全国中等学校蹴球大会から、全国高等学校蹴球選手権に名称が変わった48年度の第27回大会以降、都道府県別の優勝回数は埼玉の12回が最多で、静岡は2位の10回。出場校が現行の48校に定着した第62回大会からだと、1位は長崎の7回で千葉が6回と続き、静岡は5回で3位だった。今回の静岡学園の優勝により、千葉と並ぶ2位タイに浮上した。

 しかし、93年のプロリーグ誕生を契機にJリーグのクラブがユース年代の下部組織を発足させたほか、日本中にクラブチームが次々に生まれた。このほか日本サッカー協会が全国に地域トレセン制度を設けたこと、有能な指導者が増えたことも高校サッカーの地域間格差を解消させ、古くは“サッカー不毛の地”であっても、才気煥発な選手を次から次へと輩出させる大きな要因となった。静岡も全国で勝つ、という段になると結果を出せない低迷期が長らく続いた。


優勝旗を持つ静岡学園キャプテンの阿部健人【写真:Noriko NAGANO】

■主将の阿部も自賛 「磨いてきたドリブルとショートパスをブレずに使った」

 静岡学園の川口修監督は、その理由について「以前の静岡は個性的な選手が多かった。近年は勝つサッカーが主流になり、個性が少なくなってきている気がする」と解説したうえで、同校サッカー部を創設した初代監督の井田勝通さんを引き合いに出し、「静学は井田先生の頃から個を育成するなかで結果を出す指導をしてきました。勝利が先行し、個(の育成)が疎かになったのかなと思います」と、静岡サッカーの低迷の一因を取り上げた。

 今大会を通し、静岡学園はドリブルという個人技、個の特長を前面に出して頂点を極めた。

 決勝で圧巻の同点ゴールを蹴り込んだ2年生FWの加納大は、「日本のサッカー界に影響を与える優勝だったし、自分たちの戦い方だったと思う」とスタイルに固執した自負心をのぞかせた。主将のDF阿部健人も「磨いてきたドリブルとショートパスをブレずに使った。静岡の歴史を変えられて嬉しい」と自賛した。

 前日には第28回全日本高校女子選手権で、静岡の藤枝順心が神村学園(鹿児島)を1-0で下し、2大会ぶり4回目の優勝を飾っていた。“サッカー王国”の復興を目指してきたという2得点のDF中谷颯辰は、「アベック優勝ですから、これで静岡は盛り上がりますね。自分たちが王国復活への一歩を踏み込む力になれた」と晴れがましい表情だった。(河野正 / Tadashi Kawano)

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