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“マイアミの奇跡”の裏側「誰も喜んでいなかった」 記憶に残る大会敗退後の食事会の光景【前園真聖コラム】

FOOTBALL ZONE / 2024年7月21日 7時10分

■【1996年アトランタ五輪|GL敗退】28年ぶり出場で勝ち残る“ノウハウ”は持ち合わせず

 16か国しか出場できない五輪サッカーは、ワールドカップ(W杯)で言うベスト16から試合がスタートするようなものだ。これで日本は8大会連続で五輪に出場することになったが、実は簡単に出場できるような大会ではない。実際、1968年メキシコ五輪で3位に輝いたあと、日本は1996年アトランタ五輪までずっと出場権を逃していた。28年ぶりに本大会出場を決めたアトランタ五輪チームのキャプテンで、元日本代表の前園真聖氏に当時の大会の様子を訊いた。(取材・構成=森雅史)

   ◇   ◇   ◇   

 1996年のアトランタ五輪で、日本は1968年メキシコ五輪以来の出場を果たすことができました。アジア最終予選では初戦でイラクに1-1と引き分け、2戦目のオマーンに4-1で勝ち、3戦目のUAEを1-0で下して、勝てば本大会出場が決まるというサウジアラビア戦に挑みました。そしてサウジアラビアを2-1で破り、28年ぶりの本大会出場を勝ち取ることができました。

 ただ、28年ぶりだったということで、どうやって本大会に臨めばいいか、どう戦って勝ち残っていくかという経験値はまだ足りていませんでした。それでも「自分たちで切り開いてやろう」という思いだけでぶつかっていったと思います。1993年5月にJリーグがスタートして、多くの外国人選手が日本にやって来てくれたおかげで、彼らと対戦して自分たちのプレーに自信を持てたということも好材料でした。

 また、2018年のロシアW杯で日本代表を率いることになった西野朗監督と、現在日本サッカー協会(JFA)でナショナルチームダイレクターとして代表チームをサポートする山本昌邦コーチが、どうすればいいのか何もかも考えてくれていたと思います。

 同じ組にはU-23ブラジル、U-23ナイジェリア、U-23ハンガリーがいて、結果的にはこの大会の優勝チームがナイジェリア、3位がブラジルだったという厳しい組み合わせでした。

 U-23ブラジルのメンバーにはオーバーエイジとしてリバウド、1994年アメリカW杯の優勝メンバーだったオーバーエイジのベベットがいましたし、2002年の日韓W杯優勝メンバーにもなったロナウド(大会での登録名はロナウジーニョ)、ロベルト・カルロスもいました。

 ナイジェリアにもヌワンコ・カヌ、ジェイジェイ・オコチャ、サンデー・オリセー、タリボ・ウェストなど、当時から世界的に有名な選手が多くて大会前から苦戦は予想していました。

 結果的にはブラジルに1-0で勝ち、ナイジェリアに0-2で負け、ハンガリーには3-2で勝って2勝1敗だったものの、得失点差で決勝トーナメントに行けず悔しい思いをしました。


前園真聖氏がマイアミの奇跡を振り返った【画像:FOOTBALL ZONE編集部】

■世界を知らなかった分、チームの原動力となったギラギラした“野心”

 最終予選や本大会のグループリーグはすべて中1日で、試合の翌日はひたすら回復に努め、翌々日にはもう次の試合というスケジュールでした。今思えば非常に厳しい日程だったと思うのですが、当時は「そういうものだ」としか考えていなかったので、その中でどうすればいいのか、ということだけにフォーカスしていました。

 ブラジルに勝ったあとも、勝利の余韻に浸るどころかすぐ次の準備をしなければいけませんでしたね。周りが騒いでいるほどチームは誰も喜んでいませんでした。喜べるような試合内容じゃなかったというのもありましたから。

 僕はキャプテンでしたが、とにかく自分のできるプレーをしっかりしていこうと思っていました。何か起きても1人では抱えませんでしたし、周りが助けてくれることが多くて、そういう意味では助かっていました。

 大会で覚えているのは……、ハンガリー戦のあとの食事会です。いつもだったら食べ終わるとすぐ自分たちの部屋に戻っていたのですが、その時だけはみんなテーブルに残って話をしていました。これでこのチームの活動が終わりということで、名残惜しいという感情だったと思います。

 あの当時のメンバーには、海外クラブでプレーしている選手なんて誰もいませんでしたし、世界を知りませんでした。今の、五輪前から海外でプレーする選手が多いという状況とは大きく違います。でも世界を知らなかった分、野心がありました。世界を相手にどこまで通用するか試してやろうというギラギラとしたチャレンジャー精神が旺盛でした。そして、その選手たちの「個性」を「よし」としてくれた西野監督、山本コーチだったからこそ、僕たちは五輪に出場できたのだと思います。(前園真聖 / Maezono Masakiyo)

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