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Jクラブ入り確実の声も…「世界に出たい」 明大→欧州移籍を決断、過酷環境で開いた五輪への道

FOOTBALL ZONE / 2024年7月22日 12時10分

■【大岩ジャパン18人の肖像】MF佐藤恵允(ブレーメン)があえて選んだ厳しい環境

 大岩剛監督率いるU-23日本代表は、今夏のパリ五輪で1968年メキシコ五輪以来、56年ぶりのメダル獲得を狙う。4位でメダルにあと一歩届かなかった東京五輪から3年、希望を託された大岩ジャパンの選ばれし18名のキャラクターを紐解くべく、各選手の「肖像」に迫る。

   ◇   ◇   ◇

 昨年の夏に明治大学から海を渡り、ドイツの名門クラブであるヴェルダー・ブレーメンに加入。大学卒業を待たずしてずっと目標にしていた海外でのキャリアをスタートさせた。この決断は非常に勇気がいるものだった。当時の彼には当然のようにJクラブからの熱視線が注がれており、プロ入りは確実と言われていた。

 三笘薫(ブライトン、筑波大→川崎フロンターレ)、上田綺世(フェイエノールト、法政大→鹿島アントラーズ)などのようにJリーグを経験してから世界という選択肢もあるなかで、あえて国内に退路を残さずにより過酷な環境に飛び込むことを決意した。

「五輪代表で海外遠征や国際試合などを経験させてもらっていくなかで、自分の課題や長所などを再認識して、より考えながらプレーできるようになった。自分も早く世界に出てチャレンジしたいという気持ちが強くなった」

 強い覚悟を持って臨んだブレーメンではこの1シーズン、トップチームでの出番は得られなかった。ブレーメンのU-23チームで公式戦16試合に出場。この結果に当然彼自身は納得していないが、これまでとは全く異なる慣れない文化、環境の中で1人でもがいてきた1年間の価値はこの結果だけで測り知ることはできない。

 Jクラブであれば知った顔もいるし、仲間や相手のプレースタイルや性格もコミュニケーションを取ればすぐに理解でき、逆に自分自身も周りに理解してもらえる。だが、ドイツではそうはいかない。ましてや彼が加入したブレーメンに日本人選手はおらず、JリーグやA代表で実績のない彼の情報はほぼない状態。その中にポンと放り込まれて、言葉や習慣、何よりサッカーのスタイルの違いに苦しみ、試行錯誤しながら過ごした1年間はとてつもなく大きな意義を持つ。

 コロンビア人の父、日本人の母を持ち、持ち前の身体能力の高さと育成年代で磨き上げたフィジカルの強さ、スピードに加え負けん気の強さが際立つ。「個で打開できる力を磨いてきました。自分の武器は理解しています」と、ひたすら長所を磨いてきた。この土台を彼はドイツの地でもう一度固める作業をやり続けた。

 次はもう飛躍するフェーズに入っている。パリ五輪はその布石となる重要な舞台となる。7月17日にトゥーロンで行われた開催国フランス代表とのパリ五輪最後の強化試合では、後半17分に同じヨーロッパでプレーするFW斉藤光毅(スパルタ・ロッテルダム)に代わって投入されたが、思うような結果を残せなかった。

 気持ちよくパリ五輪に挑むという形にはならなかったが、佐藤の屈強なフィジカルとスピードはパラグアイ、マリ、イスラエルというフィジカルとパワーを持った相手に対して、日本の武器となるはず。本番で力を発揮する彼の勝負強さに期待が集まる。(FOOTBALL ZONE編集部)

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