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主将と中田英寿が“かわいい”規律違反!? アトランタ五輪同部屋で気付いた孤高の天才の素顔【前園真聖コラム】

FOOTBALL ZONE / 2024年7月23日 6時40分

■【1996年アトランタ五輪|GL敗退】中田英寿とこっそりルームサービスでハンバーガーを注文

 パリ五輪日本代表は、現地時間7月24日にグループリーグ初戦のパラグアイ戦を迎える。2024年CONMEBOLプレオリンピックで優勝したU-23パラグアイ、3月の対戦で1-3と敗れたU-23マリ、U-23ドイツを退けて本大会に出場しているU-23イスラエルと強豪との対戦が続くなか、大会を乗り切るためにチームではどんなことが大切なのだろうか。1996年のアトランタ五輪でチームのキャプテンを務めた、元日本代表MF前園真聖氏に話を聞いた。(取材・構成=森雅史)

   ◇   ◇   ◇   

 アトランタ五輪の時は、アジア最終予選も含めて今と大きく環境が違いました。

 今だったら気分転換のために用意されているリラックスルームはありませんでしたね。自分たちの部屋以外にはマッサージルームしかなくて、そこはみんなで集まって、身体のケアをしてもらいながら話をする場になっていました。部屋にはビデオも置いてあって、そこでいろいろな試合の映像などが流れていたりもしました。

 それから今と一番違ったのは食事です。栄養士さんは帯同してくれたものの、コックさんはいなかったんです。だからホテルが用意するビュッフェで出されるものを栄養士さんのアドバイスに従って食べていました。

 でも、そのビュッフェで出される食べ物が、どうも舌に合わなくてなかなか食べられないんですよ。味付けが日本人向けではないので、満足にお腹を満たすことができなかったんです。

 そんな時はどうしたか。実は同室のヒデ(中田英寿)と一緒にルームサービスでハンバーガーなんかを注文して食べていました。本当はそういうことをしてはいけなかったのだと思います。だからこっそりやっていました。

■攻撃陣と守備陣の対立報道は真実ではない

 ヒデは五輪チームに入ってきたのが松田直樹(故人)と一緒のタイミングで一番遅かったんです。だから監督は、僕と一緒の部屋にするから面倒を見ろと言うことだったんだと思います。ヒデは親しみやすかったですし、サッカー以外の話もよくしていました。アトランタ五輪のチームの中では2番目に若くて、その分みんなにかわいがられていたと思います。

 ルームサービスで一緒にお腹を満たしたのは良かったんですが、問題もありました。食べ終わったらどうしてもドアの外に食器を置かなければいけないんです。たぶんスタッフには僕たちが勝手に食べているというのが知られていたと思います。

 それでも西野朗監督や山本昌邦コーチは黙認してくれていました。そういうスタッフの懐の深さはありがたかったですね。また、そうでなければ、あの時のメンバーはまとまらなかったと思います。

 当時、攻撃陣と守備陣で意見が割れて対立があったという報道もありましたが、決してそんなことはなかったですね。考えの違いがあって、それを言い合うことはあっても、険悪になることはありませんでした。だから今でもみんな仲がいいんですよ。

 チームの中では僕が攻撃のリーダー的な役割で、今はFC今治の監督をしている服部年宏が守備のリーダーの役を担ってくれていました。そういう役割分担ができ上がっていたのもあのチームの良さだったと思います。

 それから忘れてならないのは、ブラジル戦で途中出場して、ハンガリー戦に先発した松原良香みたいなムードメーカーもいたことです。ベンチに座ることが多くても、いつもチームを明るくしてくれていた良香みたいな選手は本当に貴重でした。

 いよいよパリ五輪を目前にして、僕が注目していることの1つは、アトランタ五輪の時のチームの中でみんなが果たした役をどの選手が担うのかということです。誰が攻撃のリーダーで、誰がディフェンスをまとめるのか、ムードメーカーは誰か、そして突き上げてくる若手は誰か。選手の顔ぶれを見ながら想像して、期待を膨らませています。(前園真聖 / Maezono Masakiyo)

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