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名門・市船で全国Vも「サッカーがつまらない」の声…“日本一”監督が直面、伝統校特有の重圧【インタビュー】

FOOTBALL ZONE / 2024年7月28日 13時30分

■母校・市立船橋を日本一に導いた朝岡隆蔵氏「現実的に勝つことを考えました」

 千葉県の市立船橋高校で2011年から18年まで指揮を執った朝岡隆蔵・前監督は、就任1年目で母校を日本一に導いてから13年が経ち、教員を辞めてプロの指導者として新たな現場に立っている。今季から、日本サッカー協会(JFA)による派遣の形で福島県のふたば未来学園高校のサッカー部監督を務めている。
 
 かつて率いた名門・市立船橋とは異なる環境だが、「環境は、抜群ですよ」と校舎からほど近いサッカー部専用の人工芝グラウンドを前に、朝岡氏はやる気に満ちていた。24年インターハイは、県大会1回戦で敗退。ユース年代最高峰のプレミアリーグに属し、優勝を飾った尚志高校の背中はまだ遠いが、全国各地から生徒を募集している珍しい公立校を上のステージに引き上げようとしている。現段階での戦力比では苦戦を強いられるが、伝統校特有の難しさがない分、素直に前向きな気持ちで向き合えている部分も多いようだ。(取材・文=平野貴也/全5回の1回目)

   ◇   ◇   ◇   

 朝岡氏は、市立船橋の監督就任1年目だった2011年に第90回全国高校サッカー選手権で優勝。その後、2013年と2016年にインターハイも優勝した。2013年には、プレミアリーグ昇格も果たし、18年シーズンをもって退任するまでの間に、多くのプロ選手も輩出。シーズンを重ねる毎に、選手育成やプレースタイルの面でも評価を得た。その手腕は、新しいチームでも期待されるところだ。

 しかし、市立船橋では、就任初年に全国優勝を果たしても「守備とセットプレーだけ、選手は育たない」と揶揄されるなど、名門校に期待される要素の多さを感じ取っていた。勝利か内容か。育成年代で課される難題との向き合い方は、簡単ではなかったという。

「1年目の途中までは、選手の育成を中心に考えていましたけど、負けると周りの見る目が厳しかった。『朝岡で大丈夫なのか?』と見る人もいたし、名の知れたチームだと、アンチもいて、周囲で不安を煽る人も出てくる。まず、結果を出さなければいけない。市立船橋は、勝利を求められているチームなんだと思い、現実的に勝つことを考えました。自分がどういうサッカーをしたいとかは、関係ない。まず、相手にやりたいことをやらせない。4-3-2-1のクリスマスツリー型の布陣で、徹底的に少ない人数で攻めて、絶対に守備のバランスを崩さない。とにかく隙を作らず、シンプルにカウンターで攻めました。1年目で優勝できたから、その後、チーム作りや選手の育成ができたのかなと思います」(朝岡氏)

 高校選手権の決勝戦では、四日市中央工業高校(三重県)と対戦。相手の3年生エース浅野拓磨(マジョルカ)に先制ゴールを許したが、市立船橋のエース和泉竜司(名古屋グランパス)が後半終了間際と延長後半にゴールを奪い、劇的な逆転勝利を収めた。優勝後、多くの関係者から「おめでとう」ではなく「ありがとう」と声をかけられ、名門校の躍進をどれだけ多くの人が望んでいたかを知って驚いたという。


【写真:平野貴也】

■「市船らしさ」の検証から目指した、伝統継承と改革

 しかし、勝てば良いと思っていたわけでもなかった。就任1年目の途中、プレー内容の改善よりもチームの勝利を求めるようになった経緯、そして、3年目以降はプレー内容に強くこだわるようになった経緯について、朝岡氏はこう話した。

「市船が、外からどう見られていたか。良い部分と悪い部分がありました。戦えない、負けてしまうとなれば、そんなの市船じゃないと言われますし、それは嫌。だったら、市船らしくやるしかない。じゃあ、市船らしさってなんだと考えました。周りから言われていたのは、守備、カウンター、セットプレー、フィジカルといった面での勝負強さ。OBとして監督の座を引き継いで、1年目からそれを無視して違うサッカーをしますなんていうことは、できないと思いましたし、やる勇気もありませんでした。だから、まずは市船が持っていた良い部分を打ち出して、それで優勝できたのが1年目。市船らしさを求めて、戻す原点がなければ、勝つことはできなかったと思います。そして、勝ったからこそ、次は悪い部分を直していこうとしたのが、2年目以降。勝つけど代表選手は出てこない、プロに行っても成功しない、やっているサッカーがつまらない、フィジカルとセットプレーしかない……と言う人もいる。だったら、その部分さえも言わせずに勝つということを目指しました」

■結果と育成、両立の難しさ

 ただ、いきなり優勝できたことで、戸惑いも生まれていた。ようやく自分が目指すサッカーに着手できると思えるはずだったが、今度は成功体験にイメージを引きずられた。

「勝ったら、その方法が自分の中でも肯定されてしまう。勝ったことによる呪縛で、もっとインテンシティーを高めなければと思い、次の年は、ハードなばかりのサッカーになってしまいました。小出悠太(ベガルタ仙台)たちの世代には申し訳なかった。あの年だけ、インターハイも高校選手権も出られず、もう完全にサッカーを変えようと思いました」(朝岡氏)

 結果が出ないことに対する周囲の視線を感じて勝利を求め、今度は勝利を求めることで目指すサッカーを見失う。そして、勝利を求めたのに結果が出なかったことで、考え直すきっかけとなった。育成年代で求められる結果と育成の両輪に激しく揺さぶられた初期の経験が、その後の勝利と理想の追求の両立につながった。

 就任3年目の2013年には、のちにプロへ進むFW石田雅俊(ジュビロ磐田→大田=韓国1部)、DF柴戸海(FC町田ゼルビア)、DF磐瀬剛(VONDS市原)らが3年生。インターハイ全国決勝でライバルの流経大柏高との同県勢対決を制して日本一に輝いた。就任6年目の2016年には、現在Jリーグで活躍中のDF杉岡大暉(町田)、DF原輝綺(清水エスパルス)、MF金子大毅(京都サンガF.C.)、MF高宇洋(FC東京)らが3年生で、機動力、流動性に富んだサッカーでインターハイを制覇した。

 朝岡氏は「カップ戦の難しさがあって(就任2年目以降は)選手権では勝ち切れなかったけど、クオリティーの高いサッカーで上位争いができました。市船として何を示していくか。名前だけではなく内容でも選ばれるチームに、少しはできたかなと思っています。最後はちょっと内容面に傾けすぎてしまったけど」と振り返った。朝岡氏が市立船橋を指導したラストイヤー(2018年度)は、のちに日本A代表に選出されるFW鈴木唯人(ブレンビー=デンマーク1部)やDF畑大雅(湘南ベルマーレ)が2年生。チームとして安定して全国大会上位の成績を残すだけでなく、プロで活躍する選手、世代別日本代表の経験者も増えていった。

 名門校は、求められるものが多い。結果、内容、育成。勝ってもどれかを欠けば非難も受ける。結果を出しても、優秀な選手が集まっているから当たり前と言われることもある。他チームが羨む環境であることも事実だが、名門校の立場でしか分からない難しさも多く存在している。

 朝岡氏は、今季から指揮を執るふたば未来学園高(福島県)で「市船と同じことはできないけど、まず選手の力を伸ばしていきたい」と名門校での経験を生かしながら、新たな環境での指導に目を向けていた。

※第2回へ続く

[プロフィール]
朝岡隆蔵(あさおか・りゅうぞう)/1976年生まれ、千葉県千葉市出身。市立船橋高で第73回全国高校選手権に出場。日本大学卒。千葉県で教員となり、2008年から母校の市立船橋でコーチを務めた。11年から18年まで監督を務め、11年に第90回全国高校サッカー選手権で優勝。13年、16年にインターハイで日本一に輝いた。プロ指導者に転向し、19年から22年までジェフ千葉U-18で監督。23年は中国で四川省成都市サッカー協会にてU-18、19を指導。24年から日本サッカー協会による派遣で、福島県立ふたば未来学園高校のサッカー部監督を務める。(平野貴也 / Takaya Hirano)

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