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伝説のボレー弾、大金星後の号泣 ロンドン五輪ベスト4秘話…スペイン撃破で掴んだ“勝てる感覚”

FOOTBALL ZONE / 2024年8月1日 10時47分

■【2012年ロンドン五輪|ベスト4敗退】大津祐樹伝説のスペイン戦ボレー弾「入れ! って言いながら打った」

 大岩剛監督率いるU-23日本代表はパリ五輪の男子サッカー・グループリーグ3連勝を飾り、準々決勝でスペインと対戦することになった。日本がベスト4に進出した2012年のロンドン五輪に出場し、チーム最多となる3ゴールを挙げた元日本代表FW大津祐樹氏に当時の戦いぶりを振り返ってもらうとともに、56年ぶりのメダルを目指すチームへのアドバイスをもらった。(取材・文=河合 拓)

   ◇   ◇   ◇  

 ロンドン五輪の前の親善試合のメキシコ戦(2-1)でも決勝点を挙げるなど、本大会を前に大津はキレのある動きを見せていたが、特別な調整はしなかったという。当時、ドイツ1部ボルシアMGに所属していたなか、この前のシーズンはなかなか試合に出場できなかった。

 それでも質の高い練習ができていた感覚があり、コンディションも良く、メンタル面でも「オリンピックで活躍して見返そう。自分はできるんだぞというところを見せたい」と、自身の価値を示す意欲に燃えていたという。

 それに加えて、「同世代で小さい頃から一緒にやっていた選手たちと、一緒に戦えるところも楽しかった」と、心身ともにいい状態で大会に臨めていたと振り返る。

 ロンドン五輪の初戦の相手は、優勝候補の一角に挙げられていたスペインだった。

「相手は本当に強かったので、僕らはもうやるしかなかった。彼らより頑張らないといけないし、戦わなければいけない。とにかく質の部分では、確実に向こうのほうが上だと思っていました。でも、相手も自分たちが上回っていることを分かっているからこそ、緩みも出てくると思っていたし、何より僕らはもう負けても当たり前だと思われていたので、一番いい状態で自信を持って試合に臨めました」

 そうして臨んだ一戦の前半34分だった。MF扇原貴宏のコーナーキックがエリア内にこぼれたところを大津は倒れ込みながらボレーシュートを放ち、先制ゴールを決めた。

「細かいことは覚えていないのですが、すごくいいボールが来て飛び込むだけでした。『入れ!』って言いながらシュートを打った記憶があります。もう魂のゴールでしたね、あれは(笑)。ただ、すごく嬉しかったですけど、油断できない試合だったので点を取っても『1点だけで勝てるのか』っていう不安もありました」

 大津はGKダビド・デ・ヘア、DFジョルディ・アルバ、MFイスコ、MFコケ、FWマタと世界的スターを揃えていたチームと対戦した際の記憶をこのように辿った。

■負傷で無念の交代…奮闘する仲間の姿に涙「勝って泣いた記憶はほとんどない」

 結果的にこの大津の一撃が決勝点となったが、大津は先制ゴールを決めたあとにハーフタイムでベンチに退いた。前半途中で足に打撲を負い、ハーフタイムにスパイクを脱いだら、再び履けないほど足が腫れ上がっていたという。

 後半45分間をベンチで過ごした大津は、試合終了とともに涙を流していた。現役時代を振り返っても「勝って泣いた記憶はほとんどない」と話すが、チームメイトの戦う姿勢に込み上げるものがあったと振り返る。

「僕が前半に怪我をして交代してからも戦っているチームの姿、そこに感動してしまって。試合に勝てたこと、自分が1点取ったけれど、まだ不安があったなかでみんなの戦い方を見ていたら、涙が出るくらいすごく頑張っていたので。本当にみんなが頑張っていたので。後半、僕がベンチから見ていた時に『めちゃめちゃ、みんな頑張るじゃん』と思いましたし、ここまでしたらああいう強い相手にも勝てるんだと、チームとして戦えるってすごく大きいんだなと、あの時に思いましたね」

 大金星のあとは、メンタルコントロールが難しい側面もある。だが、ロンドン五輪の日本は、この勝利で得た自信でさらにまとまり、続くモロッコ戦にも1-0で勝利し、ホンジュラス戦にも0-0で引き分け、グループリーグを突破した。

「スペインに勝ったことで、とにかく勢いに乗っていましたし、負ける気がしないというか、勝てるイメージがすごく付きました。スペインに勝ったことは、すごく大きかったんじゃないかなと思います。(スペインは)とんでもないメンバーだったので(笑)。初戦を勝つことはすごく大きなことじゃないかなと」

 ノックアウト方式の決勝トーナメントに入っても日本の快進撃は続き、オールド・トラッフォードで行われた準々決勝のエジプト戦にも3-0で勝利。大津は後半38分にダメ押しとなる3点目を決めている。

「一発勝負になりましたが、そこまでそんなに意識はしなかったですね。目の前の試合を勝っていくことに、みんな集中していたので。とにかく優勝したい気持ちで挑んでいました。試合が中2日で行われていたので、非常にハードでした。コンディションを整えることが重要で移動が多いから、みんなマッサージをすごく受けていた印象ですね。どこも中2日でキツいのは同じなので、どれだけ楽しめるかみたいなことはみんな言っていましたね」

■メダルを懸けた韓国戦で感じた“魂の込め方”の差「まだまだ日本は弱い」

 勝てば44年ぶりのメダル獲得が決まるという大一番となった準決勝のメキシコ戦は、大津のゴールで先制しながらも大会初失点を含む3失点を喫して1-3の逆転負けとなった。「疲労はもちろんありましたけど、本当に楽しめていたし、相手も同じ条件だったのですごく気になったかというと、そうでもなかったですね」と言い、「僕らが実力不足でした。出し切れなかったという感覚もなくて、純粋に相手がめちゃくちゃ強かったです。力負けだったので、もう1つ上にいくためにはさらに実力が必要になってくるなと感じました」と、最終的に決勝でブラジルを破って金メダルを獲得するメキシコには差を感じたと振り返った。

 3位決定戦では、韓国との対戦となった。日本は0-2で敗れることになるが、大津は振り返り、この試合に懸けるモノの違いがあったのではないかと話す。

「韓国戦はすごく意識するところではあるのですが、シンプルに相手が戦う気持ちとかでも、僕ら以上に燃えていたと思います。あの試合に勝つか負けるかで、兵役免除が懸かっていたので、すごくモチベーションが高かったなと感じましたし、そういうところはまだまだ日本は弱いなと思わされました。相手が魂を込めて来ていた感じがしたので」

 両チームに共通していた銅メダル、日韓戦の勝利という目標だけではなく、韓国にはその後の人生をも直接的に大きく左右する目標があり、特別なモチベーションで試合に臨んでいたと回想した。

 ベスト4進出を果たした経験を基に、大津はチームが一丸になって戦う重要性を繰り返した。

「僕たちは、あと一歩というところで負けて悔しい思いをしたので、ぜひメダルを獲って帰ってきてほしいなという思いが強いです。上手くいった大会の話も、上手くいかなかった大会の話も聞きますが、やっぱり上手くいかなかった大会は『チームがバラバラになっていた』みたいな話を聞きます。僕らはチームとして戦うことが大事だなと体感できました。だからこそ、チームで戦うところを意識してやってもらいたい。僕らの時に『44年ぶりのメダルを』と言われていて、今回は『56年ぶりのメダルを』と言われているので、そろそろメダルを獲って、終わりにしてほしいですね」

(文中敬称略)

[PROFILE]
大津祐樹(おおつ・ゆうき)/1990年3月24日生まれ、茨城県出身。180センチ・73キロ。成立学園高―柏―ボルシアMG(ドイツ)―VVVフェンロ(オランダ)―柏―横浜FM―磐田。J1通算192試合13得点、J2通算60試合7得点。日本代表通算2試合0得点。フットサル仕込みのトリッキーな足技や華麗なプレーだけでなく、人間味あふれるキャラで愛されたアタッカー。2012年のロンドン五輪では初戦のスペイン戦で決勝ゴールを挙げるなど、チームのベスト4に大きく貢献した。23年シーズン限りで現役を引退し、大学生のキャリア支援・イベント開催・備品支援・社会人チームとの提携・留学などを行う株式会社「ASSIST」の代表取締役社長を務める。(河合 拓 / Taku Kawai)

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