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“黄金世代”元Jリーガーがトレーナー転身…教え子はパリ五輪金メダリスト 夢は「サッカー界に復帰して指導者」【インタビュー】

FOOTBALL ZONE / 2024年10月2日 18時20分

■【元プロサッカー選手の転身録】氏家英行(横浜F、大宮、草津ほか)第2回:現役を退き指導者の道へ

 世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生を懸けて戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「FOOTBALL ZONE」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。

 今回の「転身録」は、横浜フリューゲルス、大宮アルディージャ、ザスパ草津(現・ザスパクサツ群馬)でプレーした氏家英行だ。コーチ兼任や監督代行もこなしながら現役生活を続けた氏家は、サッカー指導者の道を経てトレーナーへ転身。パリ五輪金メダリストや一流アスリートにも指導する充実の日々を送る一方、「サッカー界に復帰して指導者になる夢を抱いています」と現在の思いを明かしている。(取材・文=河野 正)

   ◇   ◇   ◇

 せっかくユースからトップチームに昇格し、晴れてプロの世界に足を踏み入れたというのに、駆け出しの新人にはなんとも残酷な出来事だった。Jリーグ創設メンバーである横浜フリューゲルスは、1998年シーズン限りで横浜マリノスに吸収合併され、消滅してしまった。

 ニューカマーの氏家英行は、J2がスタートした99年に大宮アルディージャへ移籍し、主力として6シーズン戦った。2005年にはJ2に昇格して1年目のザスパ草津(現・ザスパクサツ群馬)へ転籍。翌年は群馬県リーグ1部、アマチュアチームの図南SC群馬(現・tonan前橋)に活躍の場を求め、コーチ兼任や監督代行という多忙な職をこなしながら現役を続けた。

 14年に図南でスパイクを脱ぎ、翌年からJ2ザスパクサツ群馬で服部浩紀新監督を補佐するヘッドコーチに就任。現役を退いた最大の理由は、セカンドキャリアに指導者の道を選んだからだ。早速強化に着手する。準優勝した99年のワールドユース選手権(現・U-20ワールドカップ)のチームメイトで、元日本代表FW永井雄一郎に声を掛け、関西リーグ1部のアルテリーヴォ和歌山から獲得した。

「図南へ移籍した1年目は、スクールコーチをやりながら日本協会公認のC級ライセンスを取り、これが指導者に転身する直接のきっかけになったんです。07年にB級、13年にはA級も取得しました」

 群馬での1年目は17位と低迷した。2年目の7月には自らヘッドコーチ退任を申し出て、ゼネラルマネジャー(GM)補佐に就いた。

「指導者資格A級の自分がヘッドコーチで、(最上位の)S級を持っている2人が普通のコーチなんですよ。だんだんと彼らが僕を飛び越して行動するようになったので、それなら役職を譲ろうと自分から降りたんです」

 17年いっぱいでGM補佐を退任し、サッカー界から離れることになった。「ヘッドコーチとかGM補佐という中間管理職って嫌なもんですよね。監督なら成績不振とかで責任を取れるけど、中間管理職は身の処し方が難しい」と苦笑しながら説明した。


現役時代は横浜F、大宮、草津などでプレーをした【写真:産経新聞社】

■スポーツジム開設を持ちかけ開業、規模拡大で多角的なジムへと伸長

 フリーの立場になった18年は、節目の年でもあった。

 群馬県前橋市に本社を構え、福祉用具のレンタルをはじめ、在宅用と施設向けの商品販売などを手掛けるソネット株式会社の代表と出会い、18年から20年までベッドの組み立てなど介護サービスに関する業務に携わった。

「会社はザスパのスポンサーで、代表は役員です。僕は代表に付いて回って仕事をしていたのですが、『この業務をこなしながらS級を取ったらどうなの?』って代表に提案していただいたんです」

 次は氏家が温めていた構想を打診する。本社ビルの空きスペースにスポーツジム開設を持ち掛けると、二つ返事で承諾してもらった。東京都内の複数のジムを見て回っては参考にし、20年に『ソネットフィットネス』として開業に至った。

 今年2月には規模を拡大し、“群馬県最大級のフィットネス”と銘打ってグランドオープン。100台超のマシンにスタジオ、サーキット、ゴルフ、パーソナルの各エリアを設けたほか、女子専用や初心者用のスペースも設置するなど多角的なジムへと伸長させた。

 さまざまな資格を取り、21年からトレーナーとなった氏家は、ジムのリーダーとして初心者やシニア、アスリートまでを幅広く指導。人工芝を敷き詰めたフィールドエリアは氏家が考案したもので、俊敏性を養うための用具などが設置されている。

 高崎市にある育英大学では外部講師を務め、『健康エクササイズ』という授業を年間30回受け持ち、フットサルやバレーボールなどの実技とフィットネスを指導する。

 幼稚園では園児と触れ合い、介護施設を巡回しては座ったままこなせる筋トレの手ほどきをするなど、地域貢献にもひと役買っている。

 トレーナーを目指した理由は?

「競技や種目によって、日本が世界で勝てない原因を考えた時、小さい頃からフィットネス文化がないからだと思ったんです。日本人は海外の人に比べて運動する機会が少ない。だから僕はフィットネス文化が根付くよう、キッズからアスリートまで満遍なく見ているんです。そうすれば、どんな競技でも世界と戦えるようになると信じて始めました」

 パリ五輪レスリング女子62キロ級に初出場し、金メダルを獲得した元木咲良(育英大助手)は、氏家の教え子でもある。

 21年7月に2度目の右ひざ前十字じん帯断裂。全治8か月の重傷を負うと、松葉づえ姿で氏家を訪れ主に上半身を鍛えてもらった。

 元木は「リハビリ中は落ち込んでばかりで、相当暗くて迷惑を掛けたと思います」と苦笑し、「でも氏家さんの選手時代の話題や競技者としての心構えなどを聞きながら、その時に掛けてもらった言葉がすごく救いになりました。プロの世界を経験した人は考え方が違うと思った。それにとても優しい」と感謝する。

 復帰した翌22年12月の全日本選手権では、東京五輪女王の川井友香子、同年世界選手権覇者の尾崎野乃香を連破して初優勝。「リハビリが終わってから、急速に競技力がアップしたんです」と笑顔を振りまいた。今回もパリに向かう直前まで、氏家がきっちり仕上げたという。

■トレーナー育成後はサッカー界復帰も視野「今45歳。あと2年くらい打ち込んだら…」

 17年をもってJ2群馬を離れ、所属クラブがなくなったタイミングで、なぜS級ライセンスを取得しようとしたのか。「自分はこんなサッカーをやりたい、プロ監督になったらこんなチームを作りたい、こんな戦い方をしたい、という具体的なものを確立できたのが理由です」。首尾良く日本協会から、18年度のS級コーチライセンスが認定された。

 現在フィットネスのリーダーのほかにもたくさんの業務を抱え、多忙な毎日を送る。そんななかで達成したいことの優先順位が、後進を指導し育成することだという。「僕の下で頑張っているトレーナーが将来、元木のような一流アスリートから依頼されるようになってほしい。そんなスタッフを大勢育てることが、今の一番の目標」と目を輝かせた。

 J1とJ2、県リーグや地域リーグなど、さまざまなカテゴリーに所属し世界大会も戦い、コーチ兼任や監督代行としてもプレーしてきた。大学では講義を持ち、サラリーマン生活も送った。氏家はこの四半世紀で艱難辛苦を味わい、人としてさらに大きくなった。

 今後の歩む道、夢を尋ねてみたら予想どおりの答えが返ってきた。

「スタッフが成長できる仕組みをしっかり作り上げ、人材的にも経営的にも安定させたい。それと並行して地域貢献も忘れずにフィットネス文化を根付かせたいですね。今45歳。あと2年くらいこの仕事に打ち込んだら、サッカー界に復帰して指導者になる夢を抱いています」

 99年のワールドユース選手権準優勝メンバーのうち、Jリーグで指揮を執った仲間はまだいない。氏家が第一号になれるか――。(文中敬称略。チーム名は当時の名称)

[プロフィール]
氏家英行(うじいえ・ひでゆき)/1979年2月23日生まれ、東京都出身。横浜Fユース→横浜F→大宮→草津→図南SC群馬。J1通算9試合1得点、J2通算189試合0得点。1999年にワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)準優勝を経験。2014年に引退後、群馬のヘッドコーチ、GM補佐を歴任。2018年度のS級コーチライセンスを取得。21年からトレーナーとしても活動し、パリ五輪レスリング女子62キロ級で金メダルを獲得した元木咲良にも指導。東京都シニアリーグの強豪レアル東京40でもプレーしている。(河野 正 / Tadashi Kawano)

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