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現地で直面“アフリカサッカーのリアル” 監督リンチに黒魔術…異例環境も海外挑戦する意義【インタビュー】

FOOTBALL ZONE / 2024年10月14日 8時30分

■【海外組アウトサイダー】スタッド・マロカン(モロッコ2部)所属・森下仁道

 欧州1部リーグを中心に数多くの日本人が活躍している昨今。かたや、海外のほかの地域にも目を向ければ独自の道を切り拓いた日本人プレーヤーたちの姿がある。アフリカのザンビアでプロデビューし、ガーナとモロッコで日本人初のプロ選手となったFW森下仁道もその1人。今回は、アフリカサッカーの“リアル”と海外でキャリア形成に挑戦する意義について訊いた。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・山内亮治/全2回の2回目)

   ◇   ◇   ◇

 大学在学中の2019年3月、ザンビアのクラブ「FC ムザ」でプロデビュー。翌年の卒業後に活躍の場をアフリカへ本格的に移すと、ガーナとモロッコで初の日本人プロサッカー選手になった。その間に左膝前十字靭帯を断裂する大怪我に見舞われながらも、「アフリカに振り切った」プレーヤーとして駆け抜けてきたこの5年余り。

 大陸内の強豪国へ着実にステップアップを果たせたとはいえ、当然さまざまな“洗礼”も経験してきた。アフリカでの第一歩を踏み出したザンビアでは、練習後の食事に羽アリやイモムシが並んだ。衝撃を受けた“食虫文化”。当時の苦労をこう語る。

「日本に僕の食事を管理してくれる栄養士がいたのですが、料理の写真を送ったところ、『ごめん。栄養があるのかどうか分からない』と向こうはお手上げ状態で……。『とりあえずカロリー取って』と言われるので、いろいろ口にしますが水を含めて合わず。嘔吐や下痢で大変でした」

 一方、“郷に入っては郷に従え”の考えで現地へのアジャストも進めた。

「アフリカでプレーする以上、現地の食に限らず文化そのものにも適応することが重要だと考えています。そうすることで現地の人たちに受け入れてもらう。サッカーはチームスポーツですから、文化や風習に順応することで生まれる関係性も大事になってきます」

 また、試合でも“アフリカの常識”は違いすぎた。ガーナでプレーしていた当時のアウェーゲームでのこと。ハーフタイムに監督が相手サポーターからリンチされ、後半は指揮官不在のままゲームに臨んだ。ほかの試合では、鉄の棒を持った観客がピッチに雪崩れ込むトラブルも。肌の色が違うことで標的にされやすかった森下は「命の危険を感じる時もあった」と語り、監督もアウェーでは森下をロッカールームから出さないことで守ろうとした。

「すごかったですね」とそんなエピソードを懐かしみながらも、森下はアフリカサッカーの“リアル”について話を続けた。

「現地のリーグ戦ではアウェーで勝ち点1さえ拾うことがすごく難しい。更衣室に汚物をまき散らされたり、黒魔術をかけられたり……。いかに相手チームに嫌な思いをさせるかという考えの下、パフォーマンスに集中させないためのさまざまな妨害行為をしてきます。そういうことがよくありますね」


大学在学中にザンビアでプレー。現地の食虫文化に苦労したという【写真:本人提供】

■アフリカで学んだ“加算的”な考え方

 ハチャメチャな環境に苦労しつつ、それでもアフリカだからこそ手に入れられたことがある。生活レベルで頻発する不測の事態を受け、柔軟に対応するための心構えや準備を学び、サッカーに生かせるようになったのはその1つ。さらに、思考法にも変化があったという。

「“加算的”な考え方の重要性を学びました。アフリカって今日の一食にありつく、明日まで生き延びるためのお金をなんとか稼がなければいけないという人が多い社会なので、『今この瞬間に一生懸命』という価値観が自然と醸成されていきます。

綺麗に捉えすぎかもしれませんが、僕は素敵なことだと思います。結局いくら逆算しても、この1秒、1日を一生懸命に生きない人には積み重なるものも積み重なっていきません。逆算的な思考もしますが、人との出会いを含め、目の前の出来事に一生懸命に取り組む姿勢はアフリカでより大事にしてきたように思いますね」

 また、日本から遠く離れた場所でサッカーをしていて良かったと感じた大切な経験も教えてくれた。

「ザンビアでプレーしていた頃、公式戦1試合の出場につき食料を孤児院に寄付するという慈善活動をしていました。ある日、そこで暮らす6歳の男の子から『僕は将来、メッシやクリスティアーノ・ロナウドじゃなくてジンドウみたいな選手になって困っている人たちを助けたい』と言ってもらったことがあります。お世辞かもしれませんが嬉しかったです」

■「日本人が残したポジティブな遺産をより良い形に発展させたい」

 現地生活や文化への順応に相当なエネルギーを求められながらも、手にできるものも多い異国。日本から離れた地でプロサッカー選手として挑戦する意義は何なのか。森下は「日本でプレーするプロへのリスペクトは非常に持っています」と断ったうえで、今後プロ選手を目指す“後進”に向けこんな提言をする。

「正解は1つじゃないんだと思います。日本は生活環境を含むあらゆることが快適なので、国境を1つ越えただけで想像もしえなかった縁や選択肢に恵まれるという考えになかなか至らないかもしれません。理由はさまざまでしょうが、その1歩を踏み出さない人が多いなという印象です。閉鎖的であり、変化をあまり求めたがらない。日本に留まることが悪いとはもちろん思いませんし、日本のサッカーは素晴らしい。それでも、一度出てみるのもありだと思いますよ」

 森下は現在、プロサッカー選手である傍ら、ガーナでの雇用創出を目的としたトゥクトゥク(原動機付三輪自動車)事業や少年少女らを対象にしたスポーツ振興、アフリカ人学生と日本企業を結ぶインターン支援など多岐に渡る活動をピッチ外で行っている。

これらは「アフリカで挑戦するなか日本人である恩恵をすごく受けてきた」ことへの恩返し。同時に、「今まで現地で生活してきた日本人が残したポジティブな遺産をより良い形に発展させ残していかなければいけないという使命感がある」とも語る。

「僕を支えてくれた人へ、向こう10年はアフリカに携わる事業をしていくと思います」と森下。日本から遠く離れた大陸でのサッカー選手としての挑戦は、人生というより広いフィールドへとつながっていく。

[プロフィール]
森下仁道(もりした・じんどう)/1995年8月25日生まれ、岡山県倉敷市出身。ポジションはFW。5歳の頃に引っ越し先のオランダでサッカーを始め、小学3年で日本帰国後はJFE倉敷FC(現ピナクル倉敷FC)、「ハジャスFC」と地元の強豪でプレーした。高校ではインドネシアでのサッカー留学を経験。筑波大学進学後は蹴球部に所属。3年次にアフリカ・ザンビアに留学し、「FCムザ」でプロデビューを果たす。卒業後にガーナのクラブ「エブサ・ドゥワーフスFC」に加入し、国内移籍を経て2024年7月24日にモロッコ2部「スダッド・マロカン」と契約。ガーナとモロッコの2カ国で初の日本人プロサッカー選手になった。(FOOTBALL ZONE編集部・山内亮治 / Ryoji Yamauchi)

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