後輩が驚き「オレすげえだろみたいな雰囲気ない」 50歳で引退…伊東輝悦が尊敬される理由【コラム】
FOOTBALL ZONE / 2024年11月3日 7時20分
■引退発表記者会見に登壇した際の第一声は「すげえ、めっちゃ人いる」だった
10月31日、32年間のプロ生活にピリオドを打つことを発表したアスルクラロ沼津のMF伊東輝悦。「自然体」という言葉がこれほど似合う選手はいない。
日本が28年ぶりに出場した1996年のアトランタ五輪。初戦のブラジル戦で決勝ゴールを決め、“マイアミの奇跡”の立役者となったことは、伊東の名をもっとも世に知らしめた功績だ。さらに日本がワールドカップに初出場した1998年のフランス大会でも日本代表に選出。その後のトルシエ・ジャパンでも指揮官の信頼をつかみ、コンスタントに招集された。
地元クラブである清水エスパルスには、東海大学第一高校(現東海大翔洋高)を卒業してJリーグ初年度の1993年に加入し、18年間在籍してJ1リーグ483試合に出場。“鉄人”という異名も得て、ダントツ1位となるクラブの最多出場記録として今も残っている。
その後は甲府、長野、秋田、沼津でプレーを続け、沼津に加入した時点で42歳。出場機会は激減したが、「(練習でも)サッカーをやっていて楽しいし、身体も何とか動いたので」と現役生活を続けてきた。そして50歳になる今年、体力的な厳しさを感じつつある中で彼自身は開幕前から引退を考えていて、このタイミングで発表に至ったという。
引退発表記者会見に登壇した際の第一声は、「すげえ、めっちゃ人いる」だった。彼の功績を考えればメディアの多さは当然だったが、本人は素直に驚き、喜んでいた。
50歳という節目に対する質問に対しては、「50歳までプレーできたことが本当に幸せだなとつくづく思います。その前にもやめるタイミングはあったと思うんですけど、50歳までプレーできたら面白いなというか、そんなおじさんがいてもいいんじゃないかみたいな思いはありました」と答えた。
その他の多くの質問に対しても、彼らしい力の抜けた言葉で会場の笑いを誘うシーンもしばしば。口数は多くないが、けっして気難しいわけではなく、尊大な雰囲気など一切見せない。引退会見でも「テルらしさ」は全く変わっていなかった。
筆者は長谷川健太監督時代(2005年~)から清水を厚く取材しているが、当時の伊東は長谷川監督の新しい戦術を誰よりも早く理解し、欠かせない主力として定着。30歳を越えていたが、ボランチとしてボールの回収力が際立ち、第2の全盛期と言える活躍を見せていた。
2005年に清水ユースから昇格し、偉大な先輩の背中を見ながら多くを学んだ枝村匠馬(現藤枝MYFCコーチ)は、当時のことをこう振り返る。
「自分が2年目のときにボランチを組ませてもらって、守備は全部やるから攻撃に専念していいよぐらいのことを言ってくれて、好きにやらせてもらったおかげで9点取れたんですよ。テルさんはとにかく守備範囲と洞察力がすごくて、中盤の底で全部ボールを回収してくれて、すごく学べたし成長させてもらいました」
さらにプレーだけでなく人間性の面でも大きな影響を受けたとつけ加える。
「代表にも入ってあんなすごい人なのに、オレすげえだろみたいな雰囲気や態度が全くなくて、本当に謙虚でひたむきで。上も下もないよという立ち振る舞いがすごく尊敬できました」
筆者も全く同感で、30代前半ながらどこか達観したような雰囲気を漂わせていたことが非常に印象的だった。悟りを得たかのように何にも惑わされることなく純粋にプレーを楽しむ姿が際立ち、出場機会が減ることがあっても態度や雰囲気が変わることは一切なく、淡々とサッカーに集中していた。
その印象の裏付けになりそうな言葉が、引退会見でもあった。長いプロキャリアの中で、自身のサッカー観に変化があった時期があったかという質問に対する答えだった。
「若い頃は、ミスしちゃいけないじゃないけど、完璧にプレーしようみたいに思ってたところが少しあったんですけど、サッカーってそういうもんじゃないし、完璧が何かといったら分からないし……。とくに精神状態が整ってなかったのは、日本代表に入っていた頃ですかね。自分をよく見せたい、大きく見せたいじゃないけど、そういう思いが強く働きすぎて、自分らしさがなかったなというのは思いました。その後からは、自分らしくありたいな、自分のできることを精一杯やりたいなと思ってやるようになりました。そういう変化もあったから長くプレーができたのかなと思うし、自分らしくやってきたら、こんなんなっちゃいました(笑)」
今思えば、長谷川監督時代の伊東は、まさにその境地に至っていたと合点がいく。アトランタ五輪当時は21歳。若くしてさまざまな経験を積み、ワールドカップでは出られなかった悔しさも味わい、Jリーグでも歓喜と無念を繰り返してきた。生来穏やかな性格だが、激動の中で気持ちが揺れ動いたこと、迷いが生じたことは想像に難くない。それらを乗り越えて“自分らしさ”とは何かに気づいたことによって、それまで以上に純粋にサッカーを楽しめるようになった。
そうしたサッカーに対する姿勢や周囲に対する振る舞いは、沼津に来てからの8年間でも一切変わっていない。だからこそ、沼津の後輩選手たちも引退会見の彼の言葉を聞きたいと自然に集まってきた。
その前で「小さい頃は引っ込み思案でシャイなところもあったけど、サッカーをきっかけに多くの友人ができたし、多くのことを経験できたので、サッカーに出会えて本当に良かったなと思います」と語った伊東。50代まで現役を続けた(ている)先駆者として三浦知良と中山雅史がいるが、彼ら以上に自然体で小学校1年からサッカーを愛し続け、楽しみ続けてきた。
「もう十分すぎるほどプレーしたと思います」と語ったときの清々しい顔が、本当に幸せなサッカー人生だったことを何よりも物語っていた。(前島芳雄 / Yoshio Maeshima)
外部リンク
この記事に関連するニュース
-
アトランタ五輪代表の盟友が一変「驚きました」 プロ生活32年…“話さない男”の変貌ぶり【前園真聖コラム】
FOOTBALL ZONE / 2024年11月7日 19時20分
-
【マイアミの奇跡の立役者】プロ生活32年 現役最年長Jリーガー 伊東輝悦選手(50)現役引退発表
Daiichi-TV(静岡第一テレビ) / 2024年11月1日 18時56分
-
J3沼津50歳伊東、今季で引退 「マイアミの奇跡」立役者
共同通信 / 2024年10月31日 15時51分
-
プロ生活32年、伊東輝悦が今季限りで現役引退…Jリーグ開幕を知る50歳の元日本代表がプロ生活を終える
超ワールドサッカー / 2024年10月31日 15時45分
-
現役Jリーガー最年長の50歳…沼津の元日本代表MF伊東輝悦が今季限りで現役引退
ゲキサカ / 2024年10月31日 14時58分
ランキング
-
1巨人50億円補強を前に既存戦力に“大盤振る舞い”のウラ…丸佳浩、山﨑伊織にオコエ瑠偉まで笑顔の契約更改
日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年11月22日 11時32分
-
2楽天 浅村が現状維持の年俸5億円でサイン 残り36本の通算2000安打早期達成に意欲
スポニチアネックス / 2024年11月22日 11時10分
-
3大谷翔平 文句なし満票!史上初DH専任、2人目両リーグMVP!守備貢献度なしも打と走でWAR断トツ
スポニチアネックス / 2024年11月22日 8時53分
-
4レイカーズ八村塁vs日本バスケ協会の埋まらぬ深い溝…事務総長は苦しい釈明
日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年11月22日 9時26分
-
5デコピンもMVP!ドジャースが大谷翔平の愛犬を「最優秀犬」と称賛 「ディコイにもチャンピオンリングを!」の声
スポーツ報知 / 2024年11月22日 10時42分
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください