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日本代表の新体制で即主将 怪我に泣くも不屈の魂…森保監督が最も信頼した闘志溢れる男

FOOTBALL ZONE / 2024年12月2日 7時1分

■今季限りで現役引退の青山敏弘が森保ジャパンの土台を築き上げた

 現役生活21年、ワンクラブに情熱を注ぎ続けた広島のバンディエラがユニフォームを脱ぐ。サンフレッチェ広島の元日本代表MF青山敏弘は12月1日、ホーム・エディオンピースウイング広島で行われたJ1リーグ第37節北海道コンサドーレ札幌戦(5-1)後に、現役引退セレモニーを実施。涙を流した最高の門出を終え、次なる舞台・大阪で逆転のJ1優勝を目指す。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞)

   ◇   ◇   ◇

 広島の空に6度舞い、涙が笑顔に変わった。岡山・作陽高から2004年に入団して21年、紫を纏い、牽引し続けた背番号6。2012年のJ1初優勝、翌13年の連覇、14年には日本代表としてブラジル・ワールドカップ(W杯)に出場した。15年に森保一監督とともに3度目のJ1王者となり、MVPを獲得。この日は日本代表の森保監督からもメッセージが届いた。「アオは常に目の前のことに向かってがむしゃらにひたむきに全力で取り組む姿勢を伝えてくれる」と主将に絶大な信頼を置き「ぜひサンフレッチェ広島で監督になってください」と次なる指導者への道を後押しした。

 ロシアW杯を終え、森保ジャパンが誕生した。指揮官が新体制の初陣で招集し新主将に任命したのが青山だった。そして翌19年、森保ジャパンが初めて臨んだ公式大会。アジアカップメンバー入りも果たした。だが、決勝トーナメント1回戦後に右ひざを痛めた影響で無念の途中離脱。チーム最年長で臨んだ青山は中盤で局面を打開する持ち味のパスだけでなく「森保イズム」をチームに浸透させる役割も兼ねていた。

「森保監督の人となりは?」「どこまで聞いて大丈夫か?」

 そんな選手たちの細かい疑問にも丁寧に答えて監督と選手の差を埋めていった。今、日本代表の中心を担うDF冨安健洋やMF堂安律らは当時の若手。この大会を通してのチーム作りで土台を築かなければ、その作業がうしろ倒しになっていた。今の日本代表があるのも、当初青山が尽力したからだ。

 グループステージ第3戦、ウズベキスタン戦で右ひざを負傷した青山。翌日、シャルジャで右ひざにテーピングを巻いて出てきた青山の姿は忘れられない。ピッチ脇の離れたところで1人ストレッチをしていた。

 何度も大怪我に悩まされたが、そのたびに乗り越えてピッチに戻ってきた。青山敏弘は不屈だった。

 最後の挑戦は9年ぶりの頂点。ヴィッセル神戸の結果次第ではあるが、最終節に目指すのは勝利だけ。必ず逆転優勝できると信じている。

「自分が出て活躍できているイメージが僕にはある。今日は最後じゃなくて、優勝のその先にみんなと喜ぶ光景がある。きっとできる、僕なら」

 5つ目のタイトル獲得へ――。必ずもたらすはず、青山なら。(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)

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