カズ、北澤メンバー外で「僕が残った」 マイアミの奇跡から2年…日本代表入りは「複雑でした」【インタビュー】
FOOTBALL ZONE / 2024年12月14日 7時30分
■アトランタ五輪で「マイアミの奇跡」を起こした伊東輝悦が現役引退
「鉄人」がJリーグのピッチを去った。今季限りの引退を表明していたアスルクラロ沼津のMF伊東輝悦が11月24日、松本山雅FCとのJ3リーグ最終戦に途中出場。32年間の選手生活にピリオドを打った。1996年アトランタ五輪ブラジル戦では「マイアミの奇跡」を呼び込む決勝ゴールも決め、Jリーグが開幕した93年から走り続けてきた記録にも残る“鉄人”伊東に話を聞いた。(取材・文=荻島弘一)
◇ ◇ ◇
アトランタ五輪代表だった伊東の名を一気に広めたのが、ブラジル戦。劣勢のなかで相手守備の乱れを逃さず、ゴール前に詰めて流し込んだゴールで、28年ぶり出場の日本は優勝候補から金星を挙げた。繰り返し聞かれてきたであろう歴史的なゴールを、伊東はにこやかに振り返った。
「嬉しいですよ。今でも言われるのは。(五輪開催の)4年に1回は必ずあの場面も出てくるし。32年もやっているから昔のことは忘れたことも多いけれど、もちろんブラジル戦は覚えています」
MF前園真聖からパスを受けた左サイドのDF路木龍次がブラジルゴール前にロングボール。FWの城彰二が追いかけると、相手GKジダとDFアウダイールが交錯して転倒。ゴール前に詰めていたのが、ボランチの伊東だった。自陣でボールを奪ったMF服部年宏からパスを受け、下がってきたパスを城に通したあと、そのボールが前園に渡る時にはゴール前に走り出していた。
「ゾノ(前園)さんに渡った時、ゴールまではあれですけど、チャンスにはなりそうな感じはありましたね。もともとアタッカーだし、攻撃は好き。五輪の時は一列下がった位置でプレーしていたけど、もともと持っていたアタッカーの感覚がみたいのが、その時出たのかなと」
自陣から60~70メートル、前園や中田英寿ら攻撃的な選手を追い越してたどり着いた相手ゴール前に、ボールが力なく転がってきた。歴史に残る一発を決める大チャンス。もっとも、伊東自身は打つかどうか迷ったと振り返った。
「めちゃくちゃ迷いました。ボールがゴールに向かっている感じがしたし、何もしなくてもゴールに入っていたかもしれない。(城)彰二が触っていたら、ゴールを奪うことになる。やっぱり、最終的には触りましたけど(笑)。彰二が触っていないと聞いて良かったと思いました」
■王国ブラジル相手も「やれないことはない」
相手は初の五輪金メダルを目指してA代表の主力をオーバーエイジで加えた本気の王国ブラジル、一方の日本はオーバーエイジを使わない若いチーム。圧倒的な劣勢が予想されるなか、唯一の狙いどころとされたのがアウダイールを加えた急造守備陣の連係だった。
「狙っていたかと言われると、どうなのかな。確かに試合前には連係について話はしていたけれど、正直に言えば『まあ、でもね』っていうところですよ(笑)。ピッチに立つ限りは勝ちたいと思って準備はしましたけど、実際には自分たちがどこまでできるかと。もちろん、できるなんていう確信はなかったですけど」
伊東の“虎の子”を守って1-0で勝ったものの、シュート数は日本の4本に対してブラジルは28本。GK川口能活の神セーブなどで守備一辺倒の試合だったように語られてきたが、実際にピッチの上で戦った伊東の思いは少し違った。
「やっていて、やれないことはないなと。確かに個の能力は違ったけれど、まったくできないことはないと。ちょっと前にあの試合をフルで見返す機会があって、90分守り倒したわけではないなと。最後の15分は守ることに専念しなければいけない状況だったけど、その印象が強すぎる。僕自身も守り倒したように思っていたけれど、意外とそんなでもない。変な話、もう1点取れてもというところもあったんで」
当時「世界」は未知だった。五輪は28年ぶり、ワールドカップ(W杯)初出場も2年後だ。年代別でも前年の95年U-20W杯に初めて予選突破して出場したが、79年U-20W杯も93年U-17W杯も開催国としての出場。選手たちはもちろん、サポーターもメディアも「世界」が分からなかった。
「世界大会は出たことがなかったし、海外のチームと試合することもあまりなかった。たまにやっても練習試合。ガチの試合でどうなるのか、分からなかった。それでも、実際にやってみて思ったのは、差はあるけれどできないことはない、ということ。あの試合が、ちょっと自信になったのは確かですね」
■「カズさんと北澤さんがメンバーを外れて。で、僕が残った」
アトランタ五輪翌年、伊東は加茂周監督時代の日本代表にも初選出される。もっとも、定着することはできずに予選には出場していない。岡田武史監督に呼ばれたのはW杯直前。驚きもあったという。
「予選にも出ていなくて、突然呼ばれたので。もちろん、選ばれればいいなとは思って、クラブでもアピールしていたけれど。大会直前のスイス合宿に行ったら、カズ(三浦知良)さんと北澤(豪)さんがメンバーを外れて。で、僕が残った。ちょっと変な感じ。複雑でしたね」
W杯本番では出場機会なし。同じアトランタ組の川口や城、中田らの活躍をベンチで見ていた。28年ぶりの五輪、初のW杯、日本サッカーの歴史の大きな節目となった2つの代表チームに名を連ねながら、悔しい思いのほうが大きかった。
「W杯代表メンバーになったのは嬉しかったけれど、やっぱり少しでも出場したかった。あの大会は経験になったけれど、ピッチに立っていればさらに違ったはず。悔しかったですね。まあ、そう(歴史的な両大会でメンバー入り)考えれば、悪くはないかなと(笑)」
伊東たちのあと、日本は五輪に今年のパリまで8大会連続、W杯も22年まで7大会連続出場している。伊東たちの世代が全力で目指した「世界大会」への出場は、30年近くたって「当たり前」になっている。そんな今の代表を支える選手たちを絶賛した。
「本当に、すげえなと思いますね。あの頃に比べて欧州でプレーする選手が増えた。ただ増えただけじゃなくて、多くの選手が主力としてプレーしている。すげえことになったと思います」
伊東を支えてきたアトランタ五輪の栄光とW杯フランス大会の悔しさ。いずれも20代前半のものだった。27試合出場の国際Aマッチで最後にピッチに立ったのは2011年。その後23年ものプロサッカー人生が、そのキャリアをさらに輝かせ、唯一無二のものにした。
[プロフィール]
伊東輝悦(いとう・てるよし)/1974年8月31日生まれ、静岡県出身。静岡・東海大一高(現東海大翔洋高)―清水エスパルスーヴァンフォーレ甲府―長野パルセイロ―ブラウブリッツ秋田―アスルクラロ沼津。ボランチとして清水の黄金期を支え、U-23日本代表ではアトランタ五輪ブラジル戦で「マイアミの奇跡」を起こすゴールを決めた。Jリーグ開幕の93年から32年間Jリーグでプレーした唯一の選手。日本代表通算27試合。(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)
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