J1→J3へ「ユースに参加したら雪の上」 五輪後に出場減も“直訴”…現役生活32年を貫けた理由【インタビュー】
FOOTBALL ZONE / 2024年12月17日 6時50分
■伊東輝悦が50歳で現役引退…抜群の「適応力」で乗り切ったサッカー人生
「鉄人」がJリーグのピッチを去った。今季限りの引退を表明していたアスルクラロ沼津のMF伊東輝悦が11月24日、松本山雅FCとのJ3最終戦に途中出場。32年間の選手生活にピリオドを打った。「サッカーの街」清水で始まり、同じ静岡県の沼津で終えた32年のプロ生活。抜群の「適応力」で乗り切ってきたサッカー人生を“鉄人”伊東に聞いた。(取材・文=荻島弘一)
◇ ◇ ◇
J3最終節の11月24日、引退セレモニーのビデオメッセージに豪華な顔ぶれが揃った。西野朗氏、前園真聖氏、川口能活氏、澤登正朗氏らアトランタ五輪組や清水エスパルスの計10人にも及んだ。引退発表した10月31日には、かつて所属した清水が公式サイトで感謝のメッセージを発表。誰からも愛される伊東らしい幕引きだった。
「会見したあと、知り合いから『お前、愛されているな』と言われて、清水のメッセージを知りました。すごく、嬉しかったし、ありがたかった。でも、インスタ(インスタグラム)とか興味なくてやっていないので、どうやってお礼しようかと。めっちゃアナログだけど、地元のラジオに出演した時に言いました。伝えられて良かった」
伊東のサッカー人生を語るうえで「静岡」「清水」は外せない。小1の時に清水でサッカーを始め、清水FCや東海大一(現・東海大翔洋)で活躍。J開幕の93年に清水入りし、Jクラブを渡り歩いたのち、最後も静岡の沼津で同じ静岡出身の中山雅史監督の下で現役生活を終えた。
「清水で生まれ育ったのは大きかった。サッカーを始めたのは小1の時だけど、清水だから自然とサッカーをやっていた。そうじゃなかったら、今頃サッカーやっていなかったかもしれないし」
小学校の時から市の選抜チーム清水FCで活躍した。今は168センチの身長でサッカー選手としては小柄だが、当時は大型FW。50歳まで現役を続けられた一因として「身体の強さ」「怪我の少なさ」も挙げたが、それは小学校時代に培われたものだった。
「清水は小学校でも普通に照明施設がある。小学校のサッカー部で練習が終わってから、週2回は清水FCの練習に行く。昭和ですからね。今なら問題にされんじゃねえかとも思うけど、とにかくサッカーをやった。身体の強さは両親に感謝なのですが、今となっては小学校の練習量が良かったのかもしれませんね」
高校時代卒業後は、自然の流れで地元の清水入り。Jリーグ発足に合わせて作られたクラブながら当時日本リーグの強豪で活躍していた清水出身選手を集めたメンバーは超豪華で、高卒新人にチャンスは少なかった。3年目の95年には宮本正勝監督の下で定位置を掴んだが、アトランタ五輪の96年にオズワルド・アルディレス監督が就任すると、出場機会が減った。
■アルディレス監督との対話から成長、“柔軟性”が50歳までサッカー現役を導いた
「影響を受けた選手と言っても、うまい選手はいっぱいいました。指導者もそうだけど、一番はアルディレス監督ですかね。五輪から帰ってきて試合に出られない時期もあって、監督の部屋をノックしました。直訴? そうですかね。そこで外される可能性もあったけれど、色々な話をしてくれました」
アルディレス監督は元アルゼンチン代表で78年ワールドカップ(W杯)優勝時の主力。日本では清水のあとに横浜F・マリノス、東京ヴェルディ、FC町田ゼルビアでも監督を務め、影響を受けた選手は多い。170センチと小柄ながら技巧派でクレバーなMF、タイプが似ている伊東のことは気になっていたのかもしれない。
「何が足りないのか、どうしたらいいのか、そんな話をしました。自分からもアトランタ五輪の時のボランチでプレーしたいと言いました。もう1個前で使われていたから。言われたのは『ボールを持つ機会を増やしてほしい』。それまではゲームの中で消えている時間があったようだけど、それを意識して自分からゲームの流れに入ってプレーできるようになった。選手としてやっていくうえで大きなこと。監督から信頼され、使ってもらえるようになった。少し大人になれたのかもしれないです」
伊東が長くプレーできた1つの要因には「適応力」「柔軟性」がある。子どもの頃は大型FW、その後MFにポジションを下げ、トップ下やサイドでもプレー。さらにボランチとしてトップ選手になった。どこのポジションでも監督の要求に応え、しっかりとプレーする。
「こだわりは、そんなにないんですよ。(アトランタ五輪の)西野(朗)監督に言われて一列(ボランチに)下がって、それでプレーの幅が広がった。どのポジションやっても攻撃と守備があるから、多少違いはあるかもしれないけど、大きくは違わねえと思って。そう考えたら、ポジションなんかどこでもいいと」
抜群の適応力が、どんな場面でもポジションでもプレーできる「鉄人」を生んだ。とはいえ、日本代表のフィリップ・トルシエ監督には乗り気でない使われ方もした。それでも前向きに考えられるところが、伊東の強さだ。
「3バックの時の右のワイド(MF)で使われることがちょいちょいあって。本当に嫌で、めっちゃやりたくねえなと思ったけど、それよりも何よりも試合に出たかった。それに、できないことは要求してこないだろうと思ったし、だったらトライしてみようと。元々、性格的にも自己主張が強いほうじゃないし、適応することは得意だったのかもしれない。じゃなきゃ、50歳までできないですよ(笑)」
■長野、秋田の雪の環境に驚愕「トップチームは屋内で練習」も…
適応する力は、クラブを渡り歩くなかでも発揮された。2010年には93年のJ初年度から18シーズン所属した清水からJ1に昇格したヴァンフォーレ甲府に移籍。一度はJ2に降格したものの、J1に復帰した13年限りで戦力外となった。プレーを続けるためにトライアウトに参加。チームにこだわりはなかった。
「エージェントがいなかったので、自分でできるのは知り合いを頼ることか、トライアウトで見せるしかない。どこでも行くつもりでしたね。カテゴリーなんか言っている余裕ない。プレーすることが一番だったので。ただ、環境は違いましたね」
温暖な清水で長くプレーした。移籍した甲府も清水から近かった。もっとも、トライアウトの末に14年に加入したAC長野パルセイロ、16年のブラウブリッツ秋田は環境が違った。特に驚いたのは雪。もっとも、それにも対応してきた。
「長野が誘ってくれて移籍したけれど、環境は違った。雪もチラホラ降るし。でも、そんなこと言っても仕方ないし、やれることをやろうと。秋田も大変でしたよ。雪で。トップチームはさすがに屋内で練習するんですが、ユースの練習に参加したら雪の上。聞いたら、珍しいことじゃないんだと。驚きましたね」
施設の整ったJ1から恵まれないJ3へ。戸惑うことは少なくなかったはずだが、プレーできる楽しさが上回った。
「まあ、清水も最初は(専用の施設がなく)河川敷で練習したりしていましたから。環境がどうでも免疫はあったのかもしれません。僕はいいんですよ。どこに行っても知り合いがいたし、仲間がいたから。ただ、家族は何も知らない、知り合いが誰もいない街へ連れていかれて、大変だったと思います。だから、感謝しています」
さまざまな環境に適応しながら、50歳までJリーガーとしてプレーした。ポジションを変え、クラブを変えながらも、変わらなかったのは。「プレーを続けたい」と強い気持ちだった。
[プロフィール]
伊東輝悦(いとう・てるよし)/1974年8月31日生まれ、静岡県出身。静岡・東海大一高(現東海大翔洋高)―清水エスパルスーヴァンフォーレ甲府―長野パルセイロ―ブラウブリッツ秋田―アスルクラロ沼津。ボランチとして清水の黄金期を支え、U-23日本代表ではアトランタ五輪ブラジル戦で「マイアミの奇跡」を起こすゴールを決めた。Jリーグ開幕の93年から32年間Jリーグでプレーした唯一の選手。日本代表通算27試合。(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)
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