50歳ベテランが悲鳴「地獄でした」 プロ32年の歩みに限界…現役生活の終焉「あれが決定打」【インタビュー】
FOOTBALL ZONE / 2024年12月19日 6時50分
■伊東輝悦はJリーグ発足から50歳まで現役でプレー
「鉄人」がJリーグのピッチを去った。今季限りの引退を表明していたアスルクラロ沼津のMF伊東輝悦が11月24日、松本山雅FCとのJ3最終戦に途中出場。32年間の選手生活にピリオドを打った。Jリーグがスタートした1993年にプロ選手となり、50歳という節目まで現役でプレー。少しずつ変わっていった考え方や引退後のことまで“鉄人”伊東に聞いた。(取材・文=荻島弘一)
◇ ◇ ◇
企業チームが中心だった日本リーグの活性化、日本サッカーの強化を目指してJリーグが発足したのが1993年。この年に清水に加入した伊東は、以来32年間Jリーガーとしてプレーし続けてきた。「辞めたい」とも思わず、ここまでプレーを続けてきた裏にある考えを明かした。
「辞めたいと思ったことはないですね。プレーする場所がなかったら辞めなくちゃならないけど、自分からはない。一番はサッカーをプレーするのが好きで面白い、楽しいから。その気持ちは、ずっと変わることはなかったですね」
清水から戦力外を通告されたのが36歳。引退を決断しても不思議ではない年齢だ。それでも、本人の頭に「引退」という文字はなかった。クラブや代表で一緒に戦ってきた仲間がピッチを去っても、自分は続けていくつもりでいた。漠然と頭にあったのが「50歳まで」だった。
「42、43代の時に少し思った。『50まで行ったらおもしれえな』と。突き抜けてやろうかなって。上にはカズさん(JFL鈴鹿で現役を続ける57歳FW三浦知良)がいるし、やっていても大丈夫じゃねえかなと思って。今シーズンの始まりくらいに『今年が最後かな』と思って、それが初めてですかね。やめることを考えたのは。50歳というのもあったし」
伊東が引退について口にしたことがあるのは「しんどいが楽しいを上回ったら」という言葉。これまでは、常に楽しさが上だった。もっとも、今年は少し違った。50歳で取り組む猛暑の中での練習は、これまで経験したこともないしんどさだった。
「最初に思った時点で、ある程度引退を決めた感じはあった。ただ、やっぱり今年の夏。暑かった。もともと、ゴンさん(中山雅史監督)の練習は厳しいから、地獄でした。今年の夏はしんどすぎた。あれが、(引退決意の)決定打になったかもしれませんね(笑)」
試合出場の機会は激減していた。今季は最終戦のアディショナルタイムに出場しただけ(記録は1分)。17年に沼津入りしてからは、8年間で8試合52分しかリーグ戦のプレー時間はない。AC長野パルセイロ、ブラウブリッツ秋田を含めた10年間でも、13試合116分しかプレーしていない。
「もちろん、選手である以上は試合に出たいし、出るために準備もしてきた。ただ、長野にいた40歳くらいから少し変わってきた。若い時みたいに何が何でもとは思わなくなった。もっと若い選手が活躍したほうがいいんじゃないかなと。選手でありながら変な感じなんですけど」
試合に出ていなくても、出ている時と変わらずトレーニングで手を抜くことはなかった。沼津での今季最終戦、その前日の練習まで若手選手たちと同じメニューを消化した。それが、出場機会が限られながらもプロ選手であり続けられた理由でもあった。
「カテゴリーは下がったけれど、その中で競争みたいなところに身を置いてプレーすることにやりがいを感じたし、楽しかった。トレーニングはしっかりやりたかったし、基本的にずっとやってきた」
伊東が長野で感じた「おもしれえな」の気持ち【写真:Getty Images】
■「少しでもサッカーが盛り上がればいい」伊東の考え方にも変化が
決して饒舌ではない伊東。若い選手と食事したり、遊びにいったりすることも多くないという。それでも、その背中でチームメイトを鼓舞し、引っ張ってきた。輝かしい実績のある大ベテランが黙々とトレーニングを続ける姿が若手を刺激し、チームの力になった。
「トレーニングをしないのに何か言っても説得力がないから。20歳そこそこの選手と一緒にやるのは難しいですよ。それでも、マックスでやろうとしていたし、やれたんじゃないかと思う。若いやつはエネルギーがあるので、それをもらいながらやっていた感じ。自分が刺激を与えていたのだとしたら、どちらにとってもいい関係だったんですね」
もう1つ「おもしれえな」と思ったのは、長野や秋田でプレーすることの意義。伊東がチームに加われば、地元メディアも注目するし、ファンも集まる。クラブが、地域がサッカーで盛り上がる。試合での戦力としてだけでなく、ピッチの外でも大きな「戦力」になった。
「長野も秋田も静岡のようにサッカーが根付いているところではない。そういうところで話題作りになって、少しでもサッカーが盛り上がればいい。クラブが自分を使ってサッカーをアピールしてくれればいいと思っていました」
伊東がプロ選手になった90年代、選手寿命は今とは比べ物にならないくらい短かった。Jクラブは発足当初の10から60まで増え、移籍を繰り返すことも珍しくなくなってきた。40歳を過ぎてもJリーグや下部のJFL、さらに地域リーグでプレーを続ける選手も少なくない。そんな時代の流れを伊東はポジティブに見ている。
「昔は30超えたら(引退)というのがあったけれど、選択肢が増えたのはいいこと。しんどいけれど、本人が選択してやっていけるのはいいかな。ただ、俺から見てもカズさんは意味わかんないけど(笑)」
■引退後は「自分でもよく分からない」
引退後に待っている第2の人生。豊富な経験としっかりとした考え方、寡黙さも年を経て変わったのか、トークも得意になったように見えた。引く手もあまただろうが、本人は何も考えていないという。
「変な話、選手しかやってこなかったので、何が向いているのか、何ができそうか、自分でもよく分からない。困ったもんなんすよ(笑)。指導者もまったく考えていないわけでもないし、オファーがあれば色々と考えていきたいですね」
最後に、長く現役を続けてピッチから日本サッカーの進化を見てきた50歳に、今後の日本サッカーへの提言、こうなって欲しい、こうなったらいいなと思うことを聞いてきた。もっとも、ここでも自然体。伊東らしさをまったく変えずに笑いながら答えた。
「引退会見でも聞かれたんですよ(笑)。でも、そんなでけえこと、俺には分からん(笑)。小さい時にサッカー選手になりたいと思って、高校生の時にプロリーグができるとなって、高校出てプロになって、それが32年続いた。サッカーが好きでやってきただけ。周りなど気にしなかった。子どもの感覚のまま50歳まで来ちゃった。だから、たち悪いんですよ(笑)」
嬉しそうにそう言いながら、自身が歩んできたJリーグでの32年を振り返った。
「本当に運が良かった。身体が強かったのもそうだし、大きな怪我もしなかった。小さかったから相手とコンタクトしないようにプレーしてきたのも良かったかもしれない。そして、大きいのはいろいろな人との出会い。それがあったからプレーを続けられた。家族をはじめ、多くの人に感謝したい。ここまでできて、本当に幸せでした」
J1通算517試合、J2とJ3を合わせて561試合。32年間のJリーグには常に伊東の姿があった。小さな体でチームメートを、そして多くのファン、サポーターを魅了してきた「鉄人」。お疲れさま、そしてありがとう。来年2月、Jリーグは初めて伊東のいないシーズンを迎える。
[プロフィール]
伊東輝悦(いとう・てるよし)/1974年8月31日生まれ、静岡県出身。静岡・東海大一高(現東海大翔洋高)―清水エスパルス―ヴァンフォーレ甲府―長野パルセイロ―ブラウブリッツ秋田―アスルクラロ沼津。ボランチとして清水の黄金期を支え、U-23日本代表ではアトランタ五輪ブラジル戦で「マイアミの奇跡」を起こすゴールを決めた。Jリーグ開幕の93年から32年間Jリーグでプレーした唯一の選手。日本代表通算27試合。(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)
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