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“牛飼い”になった元Jリーガー「おそらく自分だけ」 異例の転身…果たしたいサッカー界への貢献【インタビュー】

FOOTBALL ZONE / 2024年12月24日 6時50分

■「おそらくJリーグ元年から、自分と闘莉王さんだけだと思う」

「牛飼い」と聞けば、おそらく多くの人が「牛を飼う人だな」と、なんとなくイメージすることができるだろう。だが、Jリーグのピッチに立ったプロのサッカー選手が現役を引退したあとにセカンドキャリアで選ぶ職業としては、極めて珍しい。2018年にJ3福島ユナイテッドFCで現役を引退した平秀斗(ひら・しゅうと)氏は、家業を継ぐ形で「牛飼い」となった。平氏は「おそらくJリーグ元年から、現役を引退した選手で自分とブラジルに戻っている闘莉王さんだけだと思う」と、その特殊性について語った。

「牛飼い」の仕事は、平氏の先祖が代々やっていたものであり、祖父と祖母が引き継いでいたという。サラリーマンとして企業で働いている平氏の父が名義を引き取り、祖父母に仕事を依頼する形をとっていた。20代のうちに引退し、セカンドキャリアを歩むことになった平氏は、この事業を継承し、自身も「牛飼い」としての人生をスタートさせた。

「自分が入って会社を作って、父や叔父さんが退職した後にも働ける場所を作るのも面白いなと思ったんです。それで『株式会社ひらふぁーむ』として法人化しました。サッカーしかやってこなかったので、会社経営のやり方とか、何も分かっていなかったのですが、やりながら学んでいる感じです」

 牛飼いには、大きく分けて3つのパターンがあるという。1つ目は、子牛を生ませて子牛を売る牛飼い。2つ目は、子牛を買って食肉になるまで育てる牛飼い。そして3つ目が、子牛を生ませるところから食肉になるまで育てる一貫経営の牛飼い、だ。平氏の会社は1つ目の、繁殖をメインにしているという。「牝牛を数十頭そろえ、凍結精液を使って人工授精させて子牛を生ませ、交渉して子牛を売る」というのが、非常に大まかな仕事の流れだという。

 当然、牛は生き物であり、冬眠もしない。そのため365日、目を離すことができない。牝牛は年間に1頭、子牛を生む。平氏の牛舎では65頭の母牛がいるため、ほぼ1週間に1頭は子牛が生まれる計算だ。生まれた子牛は、約8か月育て、250キロから300キロになるとセリに出す。朝の7時から9時まで、そして14時半から16時半までの餌やりが日常の軸にあり、お産となれば、深夜であっても牛舎に向かわなければいけない。

■牛飼いの大変さ「朝が早く、夜中でも(牛舎に)行かないといけないのは苦痛でした」

「牛飼いになって大変だったのは、時間的にほぼ休みがないこと。あとは朝が早く、夜中でも(牛舎に)行かないといけないのは苦痛でしたね。お産がありそうとなると、いつでも準備していないといけないですし、友達との予定も立てにくくなるので」

 そうした環境を変えるために、平氏はテクノロジーを導入した。サッカー界でもテクノロジーが発展してVARが導入されるなどの変化が起きているが、牛飼いの世界でもテクノロジーの発展が業界を変えているという。

「今は、センサーを牛の体内に入れていて、それでお産が始まりそうになると、スマホに通知が来るんです。さらに牛舎には監視カメラもつけているので、本当にお産が始まる直前までは家にいることができるようになりました。祖父母は昔の人ですから、そういうことはやっていませんでしたが、周りの人に聞いてそういうのがあることを知って導入しました」

 現在は平氏の祖父母に加え、会社を早期退職した母も社員として働き、サラリーマンをしている父や叔父も会社が休みの土日には仕事を手伝ってくれている。それによって生まれた時間を使って、平氏はサッカー教室を行うなど、前回の記事でも紹介した自身の活動に充てている。

 ちなみに牛は、主に藁を食べる。藁というのは、稲や麦の茎を乾燥させたものだが、その藁を作るために平氏の家族は稲作も行っている。「田植えもします。米を作るのが目的ではないので、お米はうちでも食べますが、余ったお米は高校のサッカー部に寄付をしたりしています。だから、いろんな機械に乗りますよね。トラクターにも乗りますし、そういう免許も現役を引退してから取りに行きました」。

 先に挙げた凍結精液を使った人工授精も準国家試験となる免許が必要であり「車の免許が4つ、『人工授精師』の免許、あとは牛の爪を切る『認定牛削蹄師』の免許の計6つ」を、現役引退後に取得したという。今後も「受精卵移植師」の資格などを取得していく考えだ。

「そういう資格を持っている人はたくさんいるんです。でも、高齢の方が多いので、今取っておけば、そういう需要があるのかなと思っています。みんな農業大学に行って資格を取るのですが、セカンドキャリアで始めて資格を取っている人は珍しいかもしれません」

 牛飼いとなった今、トライアウトでの経験が大きく生きていると平氏は言う。

■牛飼いとしての目標は「サッカー支援をしたい」

「やっぱり経営なので、お金が儲からないといけないわけです。どうやったら儲かるかを考えると、いろいろな方法があると思うんです。でも、それを行動に移せるか、移せないかで変わってきます。僕はザスパクサツ群馬との契約が満了して、トライアウトを受けに行ったんですけど、その時に怖いものがなくなりました。プロサッカー選手になってからは『パスを受けたくない』と思うくらい、自信がなくなりました。でも、トライアウトの時には『何も怖くない』という心境になれた。今、この仕事をする上で、決断を下す前にはいろいろと考えます。でも、考えてから実行するまでのスピードが、他の人よりもものすごく早い。逆に今は同業者からも『いろんなことに手を出す変わったヤツ』っていう目で見られています。でも、トライアウトの時と同じで、『誰に何を言われても関係ない』って思えているんですよね。それで突き進んで、会社がデカくなれば、それが正解だって」

 トライアウトを受ける前の自分であれば、周りの意見に流されて「辞めたほうがいいかな」と躊躇っていただろうことにも、今の自分は意見を聞きつつも、自分が良いと思ったことに邁進できるようになった。周囲から不思議に思われている高校のサッカー部への米の寄付も「自分にプレッシャーをかけているんです」と平氏は笑い飛ばす。

「寄付しないといけないから稼がないといけないよ、ってプレッシャーをかけているだけなんです。『寄付やサッカーコーチのボランティア活動をしたい。それを続けるためには、稼がないといけないよね』って、自分を奮い立たせているところがあるんです。今後、もっと寄付したい、支援したい。そうすると『自分のもともとの稼ぎを増やさないと、それはできないよね。じゃあ稼ごうよ』っていう話になる。そうやって自分を追い込んでいるんです。それで自分に経営力を付けて、儲けるようにしていくんです」

 もしかしたら、このマインドを持ってサッカー選手としてスタートが切れていたら、まだ30歳の平氏のサッカーキャリアは続いていたかもしれない。ただ、当人は「そうかもしれないですけど、19歳、20歳では、こんなふうには考えられなかったですね。でも、根本にはサッカーの支援がしたいっていうのが頭にあるので、そのためにも経営をちゃんとしていきたいと思っています」と、過去は振り返らない。

 サッカー選手をやめる時、平氏は1つの目標を立てていたという。

「どこかのJリーグクラブのチームスポンサーをやりたいんですよね。試合が行われるスタジアムに、自分の会社の看板を出すとか、ユニフォームの小さいところにでも広告を入れるとか。それができたら、また一つ会社が大きくなったんだなって自分で感じられると思います」

 経営者としての充実した日々を「楽しい」と即答する平氏に、現役のJリーガーへセカンドキャリアのアドバイスを求めると、すぐさま答えが返ってきた。引退後、多くの資格を取得した平氏は実体験をもとに、あまり知られていないサッカー選手のメリットを語ってくれた。

「サッカー選手のときって時間はたくさんあったのですが、寝たり、先輩と買い物に行ったり、映画を見に行ったり、温泉に行ったりして過ごしていました。サッカー以外のためになることは、ほとんどしていなかった。現役の時って、なかなか気づくのが難しいし『プレーして、今のうちにお金を稼げばいいや』と思ってしまうのですが、そういう時間を大事にしてほしい。それに選手会に『セカンドキャリアのためにこういう資格を取りたい』と言えば、費用の9割を負担してくれたりする。だから僕も大型免許とか、現役のうちに取得していれば、9割は負担してもらえていたんです(笑)。それを知った時はすごく後悔しましたが、でも、そんなことを教えてくれる人はいなかった。それは僕とか、辞めた選手が教えていかないともったいないなと思っています」

 セカンドキャリアをスタートさせた今も、サッカー界への貢献を原動力としている平氏。スタジアムやユニフォームで、「ひらふぁーむ」の名前を見る日は、きっと遠くない。(河合 拓 / Taku Kawai)

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