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経営者、指導者、営業…三者三様のセカンドキャリア 徐々に去りゆく北京五輪世代【コラム】

FOOTBALL ZONE / 2024年12月24日 20時20分

■梶山陽平以外の全員がフル代表に選出された北京五輪代表世代

 ヴィッセル神戸のリーグ連覇、天皇杯との2冠達成で幕を閉じた2024年のJリーグ。そんなシーズンで現役を退いた選手も少なくない。

 元日本代表クラスで言えば、2011年アジアカップ(カタール)制覇のメンバーである細貝萌(ザスパ群馬)、2014年ブラジル・ワールドカップ(W杯)メンバーの青山敏弘(サンフレッチェ広島)、2016年リオデジャネイロ五輪にオーバーエイジ枠で参戦した興梠慎三(浦和レッズ)ら30代後半の面々が目立つ。

 彼らは85~88年生まれの北京五輪世代だ。改めて思い返すと、2008年の北京五輪に挑んだ日本代表は3戦全敗で全くといっていいほど結果が出なかった。しかしながら、本大会メンバー18人中、梶山陽平(FC東京アカデミーコーチ)以外の17人がのちの日本代表になっている。指揮を執った反町康治監督(現清水エスパルスGM)が、まだあまり実績のなかった吉田麻也(LAギャラクシー)を抜擢したことを含め、慧眼が高く評価されたこともあった。

 実際、アルベルト・ザッケローニ監督時代からバヒド・ハリルホジッチ監督時代にかけて、本田圭佑、長友佑都(FC東京)、岡崎慎司(バサラ・マインツ監督)、香川真司(セレッソ大阪)ら北京世代が代表をリードしていたのは間違いない。この世代が日本サッカー界に残した功績は大きいのだ。

 2024年のJリーグ引退組で北京五輪のメンバーだったのは細貝だけ。青山は最後の最後で落選し、興梠はその後に伸びてきた人材で、彼らはそれぞれに紆余曲折のキャリアを歩んできた。

 まず細貝だ。前橋育英高校から2005年に浦和レッズ入り。当時の浦和は田中マルクス闘莉王や鈴木啓太、長谷部誠(日本代表コーチ)らタレントがひしめき、細貝はコンスタントには試合に出られなかった。それでも反町監督は「細貝は才能がある」と言い続け、五輪代表に呼び続けた。本人もその配慮に今も感謝しているという。

 2008年以降は徐々に出場機会を増やし、2010年に鈴木を押しのけてボランチの主軸に君臨。この活躍が評価されてザックジャパンに招集され、翌2011年1月にはドイツ1部のレバークーゼンへと移籍した。そこからレンタルされた当時2部のアウクスブルクでブレイクを果たして1部昇格に貢献。2011-12シーズンは同1部で32試合出場3得点と好結果を残した。

■ドイツで活躍も代表では遠藤と長谷部の壁に阻まれた細貝「目を背けてしまいがち」

 この頃のドイツでは、ボルシア・ドルトムントに所属していた香川がすさまじい活躍を見せていたため、細貝の存在感がやや薄れがちだった部分は否めないが、同年と2年後の2013-14シーズンにヘルタ・ベルリンで残した足跡は高く評価すべきだ。彼自身も「監督のヨス・ルフカイさんに信頼され、自信を持ってプレーできた」としみじみ言う。最高の師弟関係によって、彼のドイツ時代は充実したものとなった。

 類まれな実績が代表に活かされればよかったのだが、当時は遠藤保仁(ガンバ大阪トップコーチ)と長谷部がおり、ほかの選手が割って入るのは難しかった。細貝は「シンプルに自分の実力不足というところがあったし、ドイツで継続的に試合に出ていたこともあって、自分自身の代表における状況から目を背けてしまいがちでしたね」と本音も……。2014年W杯に出ていたら、その後の人生も変わっていたかもしれないだけに、悔しさはひとしおだったことだろう。

 挫折、そしてトルコ、タイでのプレー経験も含め、彼は故郷・群馬の社長としてクラブに、サッカー界にそれを還元していくはず。2025年にはいきなり経営トップという大役を担うことになるが、ピッチ上で磨いた柔軟性と適応力、粘り強さを新たな仕事の場で発揮していくに違いない。

 その細貝にとって代わるようにブラジルW杯を射止めたのが青山だった。2014年前半のザックジャパンは長谷部が長期離脱、遠藤も2013年にJ2でのプレーを強いられ、少し不安要素を抱えていた。そこでザック監督は長谷部のバックアップに山口蛍(ヴィッセル神戸)、遠藤のバックアップに青山という選択をした。タテ1本で局面を変えられる類まれなパスセンスを誇る広島のボランチに、いざという時を託すことにしたのだ。

 実際、その場面はやってきた。日本がコートジボワールに負け、ギリシャに引き分けて崖っぷちの状況に追い込まれた状況でのグループリーグ最終戦のコロンビア戦だ。青山は長谷部とボランチを組んで初先発初出場を果たしたが、後半から出てきたハメス・ロドリゲスにズタズタにされ、最終的には1-4で完敗。途中でベンチに下げられ、試合後に人目をはばからずに号泣することになった。

■ブラジルW杯で号泣した青山「打ちのめされた」「自分の実力のなさ」

「打ちのめされたので、何とも言えないですけど、結果がすべてなので。涙の理由は自分の実力のなさ。僕はW杯に行くのを目標にしていたけど、勝つことが目標ではなかった。その差はすごく大きいなと。そこは後悔ですね」と、失望感を露わにしていた。

 広島のワンクラブマンだった青山は細貝のような同世代が持つ海外リーグ実績もなければ、世界大会に出た経験もなかった。29歳にして世界との差を突きつけられるとは思ってもみなかっただろう。

 ただ、逆に言えば、そのショッキングな出来事があったから、貪欲に高みを追い求め続けることができたのではないか。2015年にJリーグMVPに輝き、森保一監督率いる日本代表が発足した2018年秋から2019年1月のアジアカップ(UAE)に至るまで代表キャプテンを任されたのも、飽くなき向上心を抱き続けたから。その真摯な姿勢は誰もが認めるところだ。

 ミヒャエル・スキッベ監督体制になった2022年以降は出場機会が減少し、本人も苦悩の連続だったに違いないが、絶対に手を抜くことはなかった。「常に120%のアオさんがいるから自分も全力でやらないといけない」。同じように試合に出られず苦しんでいた野津田岳人(パトゥム・ユナイテッド)もしみじみ語っていたほどである。

「アオさんにシャーレを掲げさせたい」という広島の今季ラストの結束力も凄まじかった。それは叶うことはなかったが、本人はお世話になった記者1人1人に頭を下げて「これからはコーチとして勝てるチームを作っていく」と決意を語った。引退直後にトップコーチというのは広島では異例。スキッベ監督のノウハウを学びながら、いつかは森保監督のような成功を収めてほしいものだ。

■原口が語る興梠は「あんなに見る人のことを楽しませられる選手はいない」

 そして、もう1人が興梠慎三。ご存知のとおり、J1通算167ゴールという大久保嘉人に次ぐ2位の得点記録を残した偉大な点取り屋だ。

「もう“特殊枠”ですよね。興梠慎三という。あんなにうまいFWはサコ(大迫勇也=神戸)君か慎三君しか知らない。それはいまだに健在だし、あんなに見る人のことを楽しませられる選手はいない。一言でいうと『魅力的な男』。ある意味、遠藤保仁さんや中村憲剛さん(川崎FRO)みたいに、スーパーヒーローかなと感じます」。原口元気(浦和)もこう話していたように、数字以上に印象に残る男というのは紛れもない事実と言っていい。

 代表に目を向けると、2008年10月のUAE戦でデビュー。岡田武史(FC今治会長)、ザック、ハリルホジッチと3人の指揮官に呼ばれたが、同い年の岡崎がいたこともあって、16試合出場にとどまった。それでも、リオ五輪に参戦。初めて命がけで戦い、心身両面をすり減らし、一時は燃え尽き症候群のような状態に陥った。ただ、その経験がそれまでになかった闘志に火をつけたのは間違いない。

 興梠を擁する浦和が2016年のルヴァンカップ、2017年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)、2018年と2021年の天皇杯、そして2022-23年のACLと、数多くのタイトルを手にしたのも、この男がいてこそだった。

 北京世代の代表格と言える上記3人に共通するのは、自分が正しいと思う道を突き進み、結果を出してきたこと。もちろん挫折や失敗は数多くあったが、それにめげることなく、さまざまな環境に適応し、突き抜けた存在感を示してきたのだ。

 本田や長友、岡崎もそうだが、昭和生まれ最後の世代は揃いも揃って負けず嫌いで、オリジナリティーやアイデンティティーへのこだわりが非常に強かった。発言もストレートで物怖じしなかった。そのキャラクターも含め、魅力的な世代だったのは確か。そういう選手たちが1人、また1人と去っていくのは残念でしかないが、細貝は社長、青山は指導者、興梠は営業と違った形でサッカー界を盛り上げていってくれるはず。まずはお疲れ様という言葉を贈りたい。

 残された現役は長友、香川、西川周作(浦和)、家長昭博(川崎フロンターレ)など一握りだが、個性的な面々には少しでも長く現役を続けてほしい。2025年もベテランの意地を示してほしいものである。(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

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