元日本代表を襲った病魔「20mしか歩けない」 体に6か所穴…給料1/5でも契約した理由【インタビュー】
FOOTBALL ZONE / 2025年1月2日 6時50分
■元日本代表MF細貝萌の半生、「膵のう胞性腫瘍」を克服し地元群馬に移籍
2024シーズン限りで現役を引退したザスパ群馬の元日本代表MF細貝萌は、2021年に「お金ではなく、僕が群馬でプレーしたい」という思いで、タイのクラブから好条件のオファーを受けながらも移籍を決断していた。しかし、その前の数年間、自身は命の恐怖を感じ病魔と闘い、20メートルを歩くのがやっとだったところから復帰していた。(取材・文=轡田哲朗/全6回の5回目)
◇ ◇ ◇
2011年から6年にわたってドイツとトルコでプレーした細貝は、2017年シーズンを前に柏レイソルへと移籍。日本で2シーズンをプレーしたが、次に選んだキャリアはタイだった。2018年末にブリーラム・ユナイテッドへ移籍すると、1年後にはバンコク・ユナイテッドへと移籍する。一方で、その間に細貝の身体は「SPN」と略されることもある「膵のう胞性腫瘍」という病気に侵されていた。
「女性に多いけど、基本的には低悪性の腫瘍のものということで。ただ、膵臓だったのが怖かった。膵臓は沈黙の臓器とも呼ばれていて、危ないと言われているのを聞いたことがあった。これは、ちょっとやばいぞと。病気の時はいろいろな不安があった。種類によっては何年生きられるかという話だった」
結果的に「大丈夫となって、手術することになった」ものの、それは腹腔鏡手術で身体に6か所も穴をあける大きなもの。「手術を終えた後はHCU(高度治療室)に2日間入っていて全く動けなかった」細貝を待っていたのは、自分がアスリートであることを信じられなくなるようなリハビリのスタートだった。
「1人で歩けないので、看護師さん2人に横に立ってもらって10メートルを往復する。それで初日のリハビリは終了で、残り24時間はベッドの上。合計20メートルしか歩けない、こんなのでサッカーなんか絶対に無理だと思った。やめるという話も妻にしたくらい、普通に歩くこともできなかった。これはもうサッカーはできないんだろうと諦めかけていた」
しかし、「時間が経つと歩けるようになったし、タイのクラブとの契約とかの問題もあって、診断書を翻訳してもらって英文でバンコクの大きい病院に送って、向こうでも診察し直して、タイのドクターもサッカーができるとなり、そんなことをやっている間にやれることも増えて、散歩できて、自転車、ジョギングと数か月でできるようになって、また普通にサッカーをやりたいという気持ちになった」と、気持ちの部分も回復してきた。
膵臓の組織を摘出して検査を行い、「少し安心できるねとなったけど、今も毎年検査を受けている」という状態なのは変わらないが、選手としての復帰が近づいた。折しも世界が新型コロナウイルスの影響を受け、サッカー界も各地でリーグ戦がストップするなど大変な時期を過ごした。
そんな中、2021年5月にバンコクを契約満了で退団していた細貝は、「膵臓の病気があったのが理由で少し時間を空けたけど、タイのシーズン終了時点でエージェントを通して群馬に声を掛けさせてもらった」と、地元の群馬でキャリアの終盤を過ごすことを模索していた。
35歳になっていたとはいえ日本代表にも選出経験があり、タイでそれなりの金額を受け取っていた細貝をJ2でも下位にいた群馬が獲得するのは簡単なことではない。当然、「シーズン中でお金がないという返事で、『ちなみにタイで最後にもらっていた給料はいくらか』と聞かれたので答えると、すぐに『無理です、そもそもお金がないので獲得できません』という返事だった」という流れになった。
それでも、細貝には群馬でプレーすることへの思いがあった。
「18歳まで群馬で育ったので、群馬にサッカー人生のベースを作ってもらった。その発想があるし、2005年に浦和レッズに入ったのと同じタイミングでザスパがJリーグに参入した。頭のどこかで『地元のザスパもJリーグに入ってきたな』という、どこか同期みたいな思いがあった。
もちろん浦和に入った時はできれば長く活躍してヨーロッパに行きたいと思っていたけど、頭の片隅というか、どこかにずっと群馬があった。昔からヨーロッパにいるとお世話になった浦和の結果は気にするけど、なぜかザスパもチェックしていた。クラブとの関係があったわけでもないし、選手も友達がいるわけでもないけど、自然と地元のクラブで気にしていた。その中で時間が経ち、最後は群馬でプレーしたいと思った」
その結果、細貝は代理人を通じて、「お金はのことは、いいです」と伝えた。「これしかないですよ」という答えが戻ってきたが、「それで良いですよ」と即決した。「クラブが頑張ってくれた中だったのは分かるし、このタイミングで戻らないと群馬でプレーできないのかなと思った。タイの国内でもオファーもあったし、給料に関しては5倍どころではなかった。それでもお金ではなく、僕が群馬でプレーしたいという気持ちだった」という中、地元クラブへの加入が決まった。
今季に引退するまでの3シーズン半、思っていたよりも出場機会を得られたわけでもなく、最終シーズンでJ3に降格するという悔しさも味わった。それでも「浦和の時に素晴らしい先輩たちを見て、こうなりたい。この先輩かっこいい、こういうプレーが良いなと思って成長してきた。そういう環境にいたことが成長につながったと思う。地元出身で、チームのためになりたいと思ってきた。他の選手たちにどう思われるかが重要だと思いながら生活してきたつもり」という時期を過ごした。
そして、スパイクを脱ぐ決断をした細貝に舞い込んだのは、クラブ経営のトップである社長代行と、強化部門のトップであるゼネラルマネジャー(GM、強化責任者)の兼務という想像を超えた打診だった。それを受諾した今、地元クラブの未来を担う日々が始まっている。(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)
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