26歳での現役引退は「自業自得」 “ガラスの天才”がサッカー選手の自分に限界を感じた瞬間【インタビュー】
FOOTBALL ZONE / 2025年1月20日 9時30分
■【元プロサッカー選手の転身録】比嘉厚平(柏、秋田、山形)第2回:怪我を負った膝の違和感は最後まで拭えず
世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着ける人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生を懸けて戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「FOOTBALL ZONE」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。
今回の「転身録」は、年代別代表時代から将来を嘱望されるも、プロ入り前に両膝に重傷を負い、キャリアを通じて怪我と闘った比嘉厚平だ。J1通算1試合、J2通算44試合、JFL通算30試合の出場にとどまり、26歳での現役引退を決断した経緯は――。(取材・文=小田智史)
◇ ◇ ◇
比嘉は酒井宏樹(現オークランドFC)、武富孝介(現ヴァンフォーレ甲府)、指宿洋史(現ウェスタン・ユナイテッド)、島川俊郎(現SC相模原)、工藤壮人、仙石廉、山崎正登、畑田真輝らを擁した柏レイソルのアカデミーの中でも“黄金世代”と言われる年代の1人。スピードを生かしたドリブルを武器に、同世代を牽引する中心選手だった。
しかし、2008年1月、U-19日本代表の一員として出場したカタールU-19国際親善トーナメントの準決勝・中国戦で左膝前十字靱帯損傷、左膝半月板損傷、右膝半月板損傷の大怪我を負い、全治7か月と診断された。
同期の島川によれば、柏U-18を率いていた吉田達磨監督から、代表活動でチームを離れていた比嘉の怪我を知らされたという。
「比嘉が大怪我をしたというのは、達磨さんからミーティングで聞きました。その時はどれくらいの怪我か分かっていなかったですけど、その場がシーンとなったのは覚えています。前十字(靭帯損傷)がどれほどの怪我とは分からない年代。後々、比嘉のサッカー人生を狂わせていくことになるとは思いもよりませんでした」
2009年から柏のトップチームに昇格した比嘉だが、1年目の出場はJ1リーグデビューを飾った第9節モンテディオ山形戦での2分間のみ。その後はベンチ入り2回にとどまり、柏も16位でJ2降格の憂き目に遭った。翌10年はJ2優勝を果たすチームとは対照的に、比嘉は出場ゼロに終わった。
膝は「一応、完治している」状態も、違和感を拭うことはできなかったという。
「膝を手術して以来、怪我をする前の感覚に戻れたことは一度もなかったです。『なんかおかしいな』と思いつつ、『なんとかプレーできているからそのうち戻るかな』と。怪我を負ってからは膝が完全に曲がり切らず、膝を曲げてもかかとがお尻につかない。僕は瞬発系タイプでしたけど、以前と同じスピードで走ったり、ストップできることはなく、それでも、なんとなくできているから『まあ、いいか』という感じでサッカーをしていました」
2011年、比嘉は出場機会を求め、アカデミー時代から一筋で過ごしてきた柏を離れ、当時JFLだったブラウブリッツ秋田(現J2)へ期限付き移籍する。
「試合にも全く絡めていなかったし、『これだけいいプレーをしているのになんで(試合のメンバーに選ばれないんだ)』と思うこともなく、ただただ自分のパフォーマンスが悪くて、試合に出られるレベルにない状態。だから、(レイソルの)外に出るしかなかった。そのなかで声をかけてくれたのが当時JFLだったブラウブリッツ秋田でした。とにかく試合経験を積むために、(移籍を)決断しました」
■山形移籍で一時キャリアは上向きも…2014年の手術以降は膝の状態が悪化
秋田での2011年は、JFL30試合に出場して自己最多となるシーズン7ゴールを記録。翌年はJ2モンテディオ山形に期限付き移籍してリーグ戦10試合に出場した。山形へ完全移籍となった13年は18試合2得点、翌14年には16試合2得点の成績を残したが、14年は膝の手術を余儀なくされ、状態が悪化していくシーズンでもあった。
「山形での最初の3年間は怪我もありつつでしたけど、ところどころで自分のプレーができていて、メンバーに入って試合に出ることもできていました。でも、2014年のシーズン前に膝が腫れて、関節の中を浮遊している“ねずみ”(骨のかけら)を取るオペをしてシーズン入りが遅れた。(4月下旬に)チームに戻って、試合にも少し出たなかで、また夏に膝が腫れ始めて、結局10月くらいにまたオペをしたんですけど、そこから一気に膝が悪化していきました。今考えると、ケア不足が祟ったのかもしれません」
現代においては、前十字靭帯の怪我を乗り越えて、第一線に復帰する選手も決して少なくない。しかし、比嘉は「大きな怪我を負ったことで危機感を感じて、自分と向き合うことができなかった」と吐露する。
「結果的に、あの時の怪我の影響はありました。ただ、怪我自体は仕方ないというか、キャリアを棒に振ったとは思っていなくて。影響をより大きくしてしまったのは、自分の責任です。前十字靭帯を切る選手は少なくないし、そんなに珍しい怪我でもないので、そこで終わってしまう選手は少ない気がします。筋力トレーニングや身体のケア、それまで以上にやらなきゃいけないことはたくさんあるはずなのに、プラスαでやらなきゃいけないことを僕は全く取り組めていなかった。言ってしまえば、自業自得ですね。今振り返れば、プレースタイルを変える必要もあったと思います」
復活を目指した比嘉だったが、2015年、16年はリーグ戦出場ゼロ。練習に参加することさえ難しかった。現役引退について考えるようになったのは、16年のシーズン前に受けた、「あまりアスリートが受けるようなものじゃない手術」(比嘉)がきっかけだった。
「O脚を矯正して膝の痛みを軽減する“骨切り”という手術で、どちらかと言うとご年配の方がする手術。脛の骨を切って膝関節の角度を変え、正常な軟骨に体重がかかるようにする。その手術を受ける時には、(サッカーを)続けるのは難しいかなと覚悟しました。それ以前からほとんどピッチにも立てていなかったし、リハビリで痛みに耐えられないこともありましたから」
■26歳で現役引退…「自分が招いた当然の結果」
結局、比嘉は2016年末に26歳で選手生活にピリオドを打った。もっとも、度重なる怪我に苦しんできただけに、周囲は引退を惜しむ以上に比嘉の決断を尊重する声が多かったという。
「最後の2シーズンは試合に出てもいないし、リハビリがほとんどだったので、周囲に報告した時には『お疲れさま』という言葉が多かったし、両親も『そうか、今年辞めるんだね』という感じでした。『なんで?』ともならず、割とあっさりしたものでした(笑)。タツさん(吉田達磨)には最初に報告したんですけど、『もっとやるのかと思ってたよ』と言われたのを覚えています。ただ、否定するでもなく、(引退を)止められるわけでもなく、『そうか』と。『今後、何するの?』という感じだったと思います」
同期の島川は、「プロになってからは、それなりに連絡を取り合っていました。でも、比嘉は昔から明るい男で、常に輪の中心にいたタイプなので、つらいところは見せなかった」と回想する。
「比嘉は僕らの世代のスーパースターで、周りに与える影響力も大きかった。(26歳で)引退のニュースを見て、僕の母親は泣いていました。膝の状況も聞いていたので、『そんなにヤバいんだ』と。残念でしたけど、比嘉自身も少しホッとしていたところはあったんじゃないでしょうか。僕も怪我が長かったから、彼の気持ちは分かる。『もうゆっくりして』『終わったんだな』という気持ちでした」
将来を嘱望される才能を持ちながら、怪我と闘い続けた比嘉を“ガラスの天才”と形容する声は多い。しかし、本人は「選手時代に『天才』と言ってもらった記憶は全くないです」と笑い飛ばす。
「引退してから急に『天才』『天才』と言われて。そんなこと言われてなかったのに、というのが正直なところです(苦笑)。僕と一緒にやっていた選手は、誰もそんなこと思ってないんじゃないですかね。早熟だったので、小学生・中学生の頃はパワーで押し込めた。テクニック、ひらめき、インテリジェンスというよりも、もっとダイレクトなパワフルでスピードがある感じだった。感覚的には天才ではなく、自分で言うのもなんだけど、たしかに『怪物』と言うほうが正しいかもしれません(笑)」
比嘉は、「サッカー選手になることを目標にやってきて、サッカー選手になった瞬間にどこかで一定の満足感を得てしまった気がします」と胸中を明かす。「サッカー選手になって、海外に行きたいとか、代表選手になりたいとか、考えきれていなかった。それ以上の取り組みができなかった自分が招いたキャリア。もったいないとも思うけど、当然の結果だったと感じています」。そんな比嘉は、子供たちに自身と同じ思いをさせないために、指導者の道を歩むことになる。
(文中敬称略)
[プロフィール]
比嘉厚平(ひが・こうへい)/1990年4月30日生まれ、埼玉県出身。柏U-12―柏U-15―柏U-18―柏―秋田―山形。J1通算1試合0得点、J2通算44試合4得点。酒井宏樹(オークランドFC)、指宿洋史(ウェスタン・ユナイテッド)、武富孝介(甲府)、島川俊郎(SC相模原)、工藤壮人、仙石廉らを擁した柏U-18“黄金世代”のメンバー内でも「天才」と言われたアタッカー。15~18歳の年代別代表に選ばれ、2006年のU-17アジア選手権では優勝を経験した。高3だった2008年1月、左膝の前十字靭帯損傷など大怪我を負い、翌09年にプロ入りするもコンディションが戻り切らずに16年に現役引退。17年から指導者の道を歩み始め、現在は山形アカデミー・ジュニア村山のコーチを務める。(FOOTBALL ZONE編集部・小田智史 / Tomofumi Oda)
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