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高卒でJ加入、先輩に削られても…「嬉しい」 “負けん気”で培った原点「人生が終わっちゃう」【インタビュー】

FOOTBALL ZONE / 2025年1月22日 7時30分

■金崎の“サバイバルメンタリティー”が培われた原点は大分にあり

 大分トリニータでキャリアをスタートさせたFW金崎夢生は、その後数々のJクラブを渡り歩き、2024年夏に自身初のJFL(日本フットボールリーグ)にチャレンジした。日本代表としても11キャップを刻み、欧州での研鑽も積んだ35歳を作り上げた原点について迫る。地元大分で学んだ“基礎”とは――。(取材・文=今井雄一朗/全4回の1回目)

   ◇   ◇   ◇

「環境が人を育てる」という言葉がある。あるいは「立場が人を育てる」とも。読んで字のごとく、人は置かれた環境や立場において成長し、大きくなっていくことがある、という慣用句だが、金崎夢生もまた自分の礎をまさしく環境によって築き上げられたと感じる1人だ。

 2008年のナビスコカップ(当時)のニューヒーロー賞は、今も35歳の大ベテランとしていまだいちプレーヤーとしてピッチを駆けている。数々のタイトルも獲得したレジェンドの1人は、「プロになって、シャムスカ(監督)に出会って、コンスタントに試合に使ってもらえた。それがなければたぶん、こういう道にならなかったと思う」と、17年前のあの日の記憶の糸を手繰ってくれた。

 兵庫の名門・滝川二高校から大分でプロになった金崎は、ルーキーイヤーの2007年からリーグ18試合に出場するなど頭角を現し、2年目はトップ下のポジションで躍動。ナビスコカップ優勝の立役者の1人となる。高校3年時にはボランチでプレーし、大分にも万能型のボランチということで獲得されていたが、当時のシャムスカ監督は彼をアタッカーとして起用し、眠れる才能を引き出したのだが、当の金崎はといえばそれどころではなかった。

「プロ1年目や2年目なので、試合に出られるならどこでもやりますっていう気持ちの方が全然強かった。でも、納得いかないことの方が強かったです。チームが勝つことが大事だったので、必要だったら全然やりますっていう感じでトップ下でもやりますってやって、実際にチームも勝っていた。

 でも前線なので、得点やアシストの部分でなかなか数字が残せてなくて、それが自分にとってはジレンマで。チームに貢献している実感が自分の中ではそこまでなくて、そこが自分の中で葛藤する部分でしたね。ほかにも試合に出たい選手はたくさんいたので、そういう面でも周りを納得させたい、と思う時期でもありましたから」


JFLのヴェルスパ大分へ加入しプレーを続けている【写真:(C) VERSPAH OITA】

■金崎の成長は「運が良かった」だけではない…“負けん気”の根底にあるもの

 周囲には大活躍に見えても、本人にとっては何かの手応えを掴むどころか、「良い週もあれば、『この前の試合が悪かったから、次使われるかな、どうかな』って不安な感じで練習している週もある。その繰り返し」という浮き沈みの激しい日々。それでも目の前のチャンスを全力で掴みに行った結果であり、その運を引き寄せたのは強烈なサバイバルメンタリティーだったと金崎は思い当たる。

「新人時代の自分は、いまヴェルスパ大分の若手を見ていても、運が良かったなって思う部分はあります。でも自分が運だけじゃなかったなって思うとしたら、“負けん気”です。あの時は『ここでやるしかないんだ』っていう負けん気しかなかった。

 高卒でプロに入って、そこでクビになったらその後の人生が終わっちゃうって。大学に行く選択肢もあったけど、高卒からプロでやりますって大分に行ったから、『ここで結果を出さなかったら終わる』っていう気持ちが強かった。そこに対する負けん気、絶対に何とかしなきゃダメだって気持ちは強くあったんです」

 その意味で金崎がさらに幸運だったのは、その負けん気を真っ向から受け止めてくれるチームにいられたことだ。高卒新人の出場機会を同世代の選手たちは応援し、「自分たちも」と切磋琢磨してくれたと金崎は言うが、そこはプロの世界である。彼以上の負けん気を持った選手ばかりが当たり前で、チームメイトたちの中には面白く思わないところがあっておかしくない。

 だが、それが何かピッチ外の行動になったかといえばそうではなく、すべてはピッチ内で表現された。そしてもともと“バチバチ”が大好きな金崎はそれを意気にも感じ、よりチームのために戦おうというモチベーションに変えていったのだった。

「接し方っていろいろあって、同世代たちは『夢生が試合に出ているから俺たちも頑張る』っていう感じだけど、中堅やベテランの選手には何かしらの気持ちはあったんだろうなって、対人練習や1対1などで感じました。そういうものはあって当然で、『なんだお前、若いやつが試合出て』ってガーンって後ろから削ってきても、それがある意味でのメッセージって僕は思っていた。

 もちろん当時はキツかったですけど(笑)、そういう部分も大事なんじゃないかな、とは思います。結局は言葉じゃなくて、そういう行動から伝わるものの方が、僕は信じる方だった。そういう気持ちが僕は嬉しかったですね。だからこそ自分も責任感を持ってプレーできました」

■大分でキャリアの土台を築き…移籍でさらに成長へ

 アタッカーとしての才能を開花させたこともそうだが、プロとしてシーズンを戦い抜くということを練習でも試合でも体感できたことが、その後のキャリアの土台となったと金崎は言う。数字が欲しい。結果がすべて。チームが勝つことが何よりも重要。彼の根幹をなす考え方はこの時からすでにあったことも見逃せない点で、金崎は2010年の名古屋グランパスへの移籍を機にキャリアをさらに奥深いものとしていくことになる。

「チームが勝つためにそれが必要だったら全然やる」という気持ちは数々のチームと個人タイトルに欠かせないものだったに違いなく、新人時代に周囲の助けもありつつそれが構築できた金崎はやはり幸運だったのだろう。「あの環境がすべてでした。今の自分にとって、とても大きかったですね」。大ベテランとなった金崎は、当時を思い出すように穏やかに笑った。

[プロフィール]
金崎夢生(かなざき・むう)/1989年2月16日生まれ、三重県出身。滝川第二高―大分トリニータ―名古屋グランパス―ニュルンベルク(ドイツ)―ポルティモネンセSC(ポルトガル)―鹿島アントラーズ―サガン鳥栖―名古屋―大分―FC琉球―ヴェルスパ大分。J1通算337試合71得点。名古屋では2010年のJ1 優勝へ大きく貢献。15年の鹿島時代にはJリーグベストイレブンに選出された。2か国で欧州移籍も経験。ポルトガルでは49試合16得点をマークした。A代表11キャップで2ゴール。24年8月よりJFLのヴェルスパ大分へ加入しプレーを続けている。(今井雄一朗 / Yuichiro Imai)

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