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年間注射50本…天才の運命変えた9年前の負傷「全てが終わっても良い」 隠し続けた監督への直談判

FOOTBALL ZONE / 2025年1月24日 9時30分

■柿谷にとって2016年は激動のシーズンだった

 2024シーズンをもって現役を引退した元日本代表FW柿谷曜一朗が1月23日、古巣セレッソ大阪の本拠地であるヨドコウ桜スタジアムで引退会見を行った。涙あり、笑いあり、等身大であり続けた柿谷を象徴する空間。プロ生活19年間、柿谷自身が最も印象深いシーズンはC大阪に復帰した2016年、J1昇格に貢献した年だった。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞)

   ◇   ◇   ◇

 試合終了のホイッスルが鳴ると両手を覆い、あふれ出る涙を抑えられなかった。キャプテンマークを巻いた柿谷は芝生に寝転がり、人目をはばからず大号泣した。2016年12月4日、ファジアーノ岡山と対戦したJ1昇格プレーオフ決勝。キンチョウスタジアムで行われた決戦で柿谷はボロボロだった。その週の練習で両太もも前を肉離れ。通常ならばピッチに立つことなんてできないほどの負傷だった。

「足の状態はもう終わっていた。無理言うてというか……『知らん、出る』と。(肉離れして)もうさすがにあかんかなとも思ったけど(監督の)大熊(清)さんに『頼む、出る』と。あのタイミングで、もう全てが終わっても良いぐらいの感覚やったから。あそこでね、勝って上がれて今があると思う」

 バーゼルから復帰した1年目。このシーズンは負傷に苦しんだ。6月に右足関節靭帯損傷で離脱。約2か月後経っても違和感があり手術を受けた。ピッチに戻ってきたのは11月。約5か月間、キンチョウスタジアムのメインスタンド上から仲間の様子を見守る姿は印象的だった。

 そして迎えるプレーオフ、長期離脱による負傷明けで万全でないなか、両太ももを肉離れした。当時、トレーニングでは別メニュー調整をしていたものの、大熊監督も大事には至らないと強調していた。この負傷を明かすことなく、岡山を1-0で撃破し、J1復帰を勝ち取った。

「メディカルとしては、もうノーとかのレベルじゃなくて、何でこいつはユニフォーム着てんねんって感じやから。ピッチに入ったら案外アドレナリンで痛くなくなるはずなんですけど、普通に痛かった。でもそんなことはね、どうでも良い。今思うと、綺麗な話になっているけど、負けていたらそんなん元気なやつが出た方が良かったとなるから、勝負でもあった。自分の中では。だから、すごい涙が止まらんかった」

 C大阪の8番を背負う主将。すべてを懸けた昇格への道だった。この時の負傷について、柿谷は引退後まで話さなかった。

 ただ“代償”は否定できなかった。18年には負傷離脱を繰り返し、名古屋グランパスへ移籍した翌年、2022年には左腓骨筋腱損傷で手術を受けて長期離脱を強いられた。

 2023年、徳島ヴォルティスへ復帰し迎えたシーズンで今度は右足に限界が来ていた。アキレス腱の痛みに悩まされ、痛み止めではなく、箇所へ麻酔の注射をすることでピッチに立っていた。

「(代償は)あったと思う。でも全く後悔ない。ヴォルティスでは僕、合計で(年間)50本ぐらい注射打っている。アキレス腱に。アキレス腱に注射打つってそもそもありえない。そんなん痛なって当然じゃないですか。めちゃくちゃ痛いのに(試合では)痛くない状態でやっているんやから。だから、試合が終わって家に着くじゃないですか。もう30分ぐらい喋られへん時ありましたもんね、痛すぎて。でも、プレーはできる。それすれば。メディカルの人たちからすると『ごめん、治してあげられへんくて』と言われたんですけど、『いやいや、俺が打ってって言うてるから』。聞いてくれたドクターにもめちゃくちゃ感謝していますね」

 それでも徳島を救いたい、J1へ昇格させたい。その一心だった。人懐こく、感情が豊かで、いつも等身大の柿谷。一方で本当に苦しんだ時はその姿を見せず、1人で戦ってきた。それだけ所属したクラブへの恩、愛が深い選手だった。ただの天才でない。実は誰よりもハートが強く、背負える男だったのだ。(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)

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