お気に入りに登録していた映画を日がな一日観続ける。こんな幸せな休日の過ごしかたってあるでしょうか。 映画鑑賞のお供として欠かせないもの。それは、おいしい「おやつ」! 「おやつ」が物語の鍵となり心の奥の方を刺激する、そんな映画作品を紹介します。 自分でも何か作ってみようか? 意欲が湧いてきたら、休日をおやつ作りに充てるのもいいかもしれません。
映画に登場するお菓子にはいろんな種類があるけれど、大好きなのは、誰かの手で作られる、シンプルで素朴な「お やつ」。粉をふるい、生地をこね、成形し、火を通す。慣れた手つきでくりかえされるその動作はとても美しく、思わずうっとりと見惚れてしまう。そんなおやつ作りの過程をたっぷりと見せてくれるのは、イスラエルとドイツを舞台にした映画『彼が愛したケーキ 職人』。
ドイツ、ベルリンのカフェで働くケーキ職人のトーマスは、イスラエルから出張でやってきたオーレンという男性に出会う。オーレンにはエルサレムに妻と子がいるが、またたくまに恋に落ちた二人は、何度も逢瀬を重ねる。だがある日オーレンが交通事故で急死し、事態は大きく動き出す。
恋人の死に沈むトーマスは、オーレンの妻アナトが営むエルサレムのカフェを訪ねると、正体を明かさないまま従業員として働き出す。ドイツ人の彼を不審がる者もいたが、 トーマスがアナトとオーレンの息子、イタイの誕生日用に焼いたクッキーが評判となり、店は大繁盛。トーマスは美味しそうなお菓子を次々に作り始める。なかでも彼が得意 とするのは、ドイツ風のシナモンクッキー。材料は小麦粉と砂糖、バターなどシンプルな材料しか使っていないという簡素な丸い形のクッキーには、シナモン風味がかすかに効いていて、チョコやアイシングクリームでデコレーションすれば色鮮やかに姿を変える。クッキーの味に魅了された客たちは、トーマスのつくるお菓子をもっと食べたいと、次々に注文し始める。チョコのかかったパイやナッツ入りのパン、アップルパイ、ドイツの名物である黒い森のケーキ。最初はコーヒーにそっと添えられていた一枚のクッキーが、殺風景だったカフェの雰囲気を明るく変え、アナトたちの人生をも大きく変えていく。
カフェが繁盛するにつれ、トーマスとアナトの距離も徐々に縮まっていく。生地をていねいにこね、温かい手で平たく伸ばし、型をとる。小さなキッチンで同じ作業をくりかえすうち、二人の間に不思議な熱が灯る。だがアナトはまだ知らない。自分が愛し始めた男が、亡き夫の恋人だったことを。秘密は、彼らの運命を変えたクッキーにも隠されていた。実はトーマスがつくるシナモンクッキーは、オーレンが ベルリンのカフェを訪ねるたび、家族へのおみやげとして買っていたものなのだ。何も知らないアナトに、「そういえば、あなたのクッキーは、亡くなった夫がいつも出張先で買ってきたクッキーによく似てる」と言われ、トーマスは黙り込む。 愛した人の好物、そして自分たちを結びつけた思い出の品を、残された妻と子のために作りつづける。そこには、密かに悲しみを共有したいという切なる願いとともに、トーマスのかすかな復讐心も垣間見える。
同じ男を愛した男と女を結びつけたシナモンクッキー。 それはしっとりと甘く、けれどどこかほろ苦い秘密の味がする。
MOVIE: 『彼が愛したケーキ職人』
©All rights reserved to Laila Films Ltd.2017
突然恋人を亡くしたトーマスは、彼が住んでいた エルサレムへ向かう。訪ねたのは、恋人の妻が営むカフェ。こうして、お菓子づくりを通して、同じ男を愛した二人の男女の運命が交差する。
2017年/監督:オフィル・ラウル・グレイツァ 出演:ティム・カルコフ、サラ・アドラー、 ロイ・ミラー
onKuL vol.17(2022年10月売号)より。
illustration:Nobuco Uemura
text:Rie Tsukinaga
re-edit:onKuL