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柴田惣一 今日も一緒にプロレスを楽しみましょう! 別れから19年、橋本真也は豪快さと優しさの人だった 破壊王の命日に語られる数々のエピソード、いまも止まらぬ惜しむ声

zakzak by夕刊フジ / 2024年7月22日 6時30分

若き日の橋本真也(夕刊フジ)

7月11日といえば、プロレスファンには忘れられない日のひとつ。2005年に亡くなった破壊王・橋本真也の命日である。40歳での死だった。

衝撃の一日から19年がたった。この時期になると毎年さまざまなエピソードが語られる。愛されていた男を惜しむ声が止まらない。

新日本プロレス道場の最寄り駅・二子玉川駅に、かつてエンターテインメント・レストラン「グリル・デ・ガバチョ」があった。1997年にオープンしたが、当時は珍しかった食事だけでなく滞在することも楽しめる店だった。

一緒に訪れたときのこと。まだ寒い時期だったが、橋本は半袖シャツのレスラーあるあるスタイルだった。闘魂三銃士として人気を集め、街中でも声を掛けられることが多かった。ファッションリーダーも自負しており、おしゃれなシャツを着用していた。

近未来の飛行船を思わせる広い店内を歩くと注目が集まった。中でも女性ファンの視線に気づくと「握手しようか」と自ら近づいていった。実は「あ、どうも」と微妙な反応だったが、上機嫌の橋本はお構いなし。盛んにシャツの襟を直すしぐさを繰り返した。

「素敵なシャツですね」との声に待っていました、とばかりファッション談義。その体からは湯気が立っていた。橋本の周囲だけ常夏だ。得意げに胸を張る姿に、女性ファンも周囲の人たちもほほ笑むばかり。今ならパワハラ、モラハラと指摘されそうなイタズラを仕掛け、時には騒動を起こしていたが「橋本だから仕方ない」とみんなが苦笑い。愛嬌(あいきょう)のある人だった。

東京ディズニーランドで出くわしたことがある。ともに家族連れで、まだ小学生だった娘と息子を抱っこしてくれた。別れ際には「これで何か買ってあげて」とお金を手渡された。「とんでもない」と遠慮すると「柴田さんじゃない。お子さんにだから」とウインク。ぬいぐるみを購入させてもらった。今でも大切にしている。豪快さと細やかな優しさを併せ持った人だった。

プロレス会場のトイレで隣り合わせとなり「おしっこ、大丈夫? 糖尿病とか生活習慣病に気を付けないとね」と心配してくれた。ところが、本人は大いに食べ飲んでいた。プロレラーらしさにこだわっていたからだろう。昭和に入門し平成マット界で大暴れし、ひと時代を築き上げた橋本真也。令和のプロレス界を天国からどう見ているのだろうか。「みんな、頑張っているな」とニコニコしているのだろうか。それとも…。夏の空に浮かぶ入道雲が、真ん丸な橋本の笑顔に見えた。 =文中敬称略 (プロレス解説者 柴田惣一)

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