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ドクター和のニッポン臨終図巻 沖縄アクターズスクール創始者・マキノ正幸さん、沖縄の〝原石〟磨くことに人生捧げた 安室奈美恵、SPEEDなどを輩出

zakzak by夕刊フジ / 2024年7月15日 10時0分

僕は沖縄が大好き。講演会などを含め、年に一度は出かけます。那覇ならば必ず立ち寄るのは、レトロな店が立ち並ぶ栄町市場かな。安い居酒屋をハシゴして、そのままディープなスナックへ。東京や大阪では、スナックといえば僕のようなオジサンたちの溜り場ですが、沖縄のスナックは、地元の若くて元気な男女が大勢います。

それにしても、沖縄の若者は本当に歌がうまい。声がいいし、リズムもノリもいい。さすが安室奈美恵さんを輩出したところです。その背景にはこの人の存在も大きいはずです。安室さんをはじめMAXやDA PUMP、SPEED、三浦大知さん、満島ひかりさんなど素晴らしいアーティストを輩出した沖縄アクターズスクールの創始者、マキノ正幸さんが、6月28日に死去されました。享年83。死因は、敗血症性ショックとの発表です。

敗血症とは細菌などの微生物が本来無菌である血液中に入って増殖する病態です。全身性炎症反応症候群とも呼ばれ、全身の臓器障害が引き起こされる重篤な状態です。肺炎や腎臓や尿路や腸管や皮膚の感染症から起こることが多いです。感染症から続発する病態なので、誰がいつなってもおかしくないのですが、がんや糖尿病や高血圧のある65歳以上の高齢者、1歳以下の乳幼児など、いわゆる免疫力が低下した人ほど敗血症に陥るリスクが高いといえます。

そして「敗血症性ショック」というのは、尿量の減少や意識レベルの低下などが起こり、命にかかわる重篤な状態です。そうなると濃厚な治療をしても3人に1人が命を落とすといわれています。

さてマキノさんは、沖縄出身ではありません。映画監督だったマキノ雅弘さんと女優の轟夕起子さんを両親に京都で生まれました。長門裕之さん、津川雅彦さんがいとこにいるなど、裕福な芸能一家でした。

1971年、沖縄本土復帰前年に青山学院大学の後輩だった渡哲也さんに誘われ初めて沖縄に行ったそうです。そして夜の街で、東京の銀座にもいない、とびきりの女の子たちと出会ったことから、沖縄移住を決心。紆余(うよ)曲折ありながらも1983年に沖縄アクターズスクールを開校しました。ご著書『沖縄と歌姫』(宝島社)では、こんなふうに書かれています。

「安室奈美恵と初めて会った日のことは今でもはっきりと覚えている。私は直感的に、この少女から言い知れぬオーラを感じた」

マキノさんが沖縄に行かなければ生まれなかった歌がたくさんあると思うと、また次に沖縄のスナックに行くのが俄然(がぜん)楽しみになりました。人生は一期一会。最後まで芸能に人生を捧げたマキノさんに、沖縄弁で心からの「にふぇーでーびる」(ありがとう)を!

■長尾和宏(ながお・かずひろ) 医学博士。公益財団法人日本尊厳死協会副理事長としてリビング・ウイルの啓発を行う。映画『痛くない死に方』『けったいな町医者』をはじめ出版や配信などさまざまなメディアで長年の町医者経験を活かした医療情報を発信する傍ら、ときどき音楽ライブも。

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