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女優・小川眞由美 今、明かす私が歩んできた道 「出番を待つ市川雷蔵は月下美人のように美しかった」小川眞由美が女優人生を縦横に語る 日本の芸能史の貴重な記録

zakzak by夕刊フジ / 2024年12月17日 11時0分

小川眞由美―テレビドラマ「女ねずみ小僧」や「積木くずし」、映画「鬼畜」「復讐するは我にあり」など数々の傑作に出演した名女優だ。近年は活動をセーブしているが、以前京都で野外劇を一緒に作った筆者がこのたび久しぶりに小川と再会。これまでの女優人生について縦横に語ってもらった。日本の芸能史の貴重な記録である。 (敬称略)

小川の父・丹真は、女優・田村秋子らが創立した劇団新東京に所属していた。田村の夫は小山内薫らと共に新劇を確立した築地小劇場を立ち上げた友田恭助で、丹真は新劇運動の中心にいた。

「父は泉鏡花に憧れて作家を志し、『早稲田文学』で入選し将来を嘱望されていましたが、戦争で負傷し障害が残りました。母・由喜世は、私が5歳の時から日舞やバレエを習わせました。覚えが悪いと定規で引っ叩く真面目な母でした」

父は娘に新劇女優になってほしかったが、当時は興味がなかった。「むしろ見るのが好きでね。旅まわりの芝居が疎開先の黒磯に来ると、テントをめくってタダで見ていました」。その踊りを覚えて弟に踊って見せたというから、やはり素養はあったわけだ。

「学生時代は文学の部活動に入りました。部室に山のようにあるスタインベックやバルザックをずっと読んでいました。永井荷風の日記の通りに生活するのが好きで、中古の車を買ってもらい、日記に出てくるそば屋を探して走りました」

「立ち見席で歌舞伎を毎日見て、市川寿海の美声にほれました。舞台袖で出番を待つ市川雷蔵は暗闇の中の月下美人のように美しかった。私は歌舞伎時代の雷蔵を見た最後の世代ですね」

その後、映画界入りした雷蔵とは映画「陸軍中野学校」などで共演する。「普段の雷蔵さんは郵便配達のおじさんかと思うぐらい地味な人。なのにメークをするとみるみる変貌する。冗談がお好きでね。でも、複雑な家庭環境だったせいか、『新平家物語』の演技を見ても両親を思う寂しさが出ていますね」

最後に雷蔵に会った時、家でフグをごちそうした。「その後すぐ亡くなったので、フグのせいかと気にしました」。雷蔵は最後に「新しい劇団を作りたい」と言っていたという。「彼は世界レベルの俳優です。今あんな人はいませんね」 (演出家・脚本家=大野裕之)

■小川眞由美(おがわ・まゆみ) 1939年12月11日生まれ、85歳。東京都出身。61年、文学座付属研究所に第1期生として入所。62年、「光明皇后」で初舞台。63年には「母」で映画初出演。70年台以降は映画・ドラマで活躍し、代表作は「女ねずみ小僧」や「アイフル大作戦」、映画「復讐するは我にあり」「八つ墓村」「鬼畜」など。

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