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ぴいぷる 歌手・MASAO、玉元正男 フィンガー5、解散してないよ 〝初恋〟の人、岡崎友紀と12月に初共演ライブ

zakzak by夕刊フジ / 2024年11月7日 11時0分

元フィンガー5の三男、玉元正男(夕刊フジ)

全然売れず沖縄に帰ろうかと

沖縄返還の翌年、1973年にデビューした5人兄妹(きょうだい)、フィンガー5(ファイブ)が踊って歌う「個人授業」「恋のダイヤル6700」「学園天国」は、立て続けにミリオンセラーとなり、世代を超えた国民的ヒットとなった。

「実はその前に3年の下積み時代があって、もう東京で売れないから沖縄に帰ろうと話していたんですよ」

三男の正男が振り返る。

父は壮絶な戦禍から立ち上がり、クリーニング店や厳しい衛生基準に適合した米兵向けのAサインバーを経営していた。

「内地より半年から1年早くアメリカの音楽が耳に入る。ベンチャーズからトム・ジョーンズ、エンゲルベルト・フンパーディンクにジェームス・ブラウンも。当時、ちびっことしては珍しいバンドを兄妹と組んで、ぼくは小学校5年でベースを弾いていました」

当時はオールブラザーズと名乗り、正男は初代ボーカルに。世界的にはオズモンズやジャクソン5の潮流もあり、米兵から喝采を浴びた。地元の評判を聞きつけレコード会社から声がかかった。両親と一家7人で東京に移住。返還前なので〝来日〟した形でデビューを果たすが、「3枚ほど出したレコードはまったく売れなかった」という。

阿久悠×都倉俊一…どれほど大先生か知らなかった

「耳が肥えている外国人の前で子供のころからチップをもらっていたんですが、当時の日本は歌謡曲の全盛期。向こうのサウンドをやってもダメだろうと寄せてつくった曲は、そりゃあ、くそつまんないですよね。売れないし、寂しくて、ちょうど沖縄が返還されるので、帰ろうと」

待ったをかけたのは、レコード会社で担当していたサブディレクター。会社を移籍して手掛けたキャロルが大当たり。次に5人兄妹を再生させようと改めてオーディションを受けさせた。審査席には作詞家の阿久悠と作曲家の都倉俊一がいた。

「どれだけ大先生かも知らずに、好きなことやって沖縄に帰ろうと、トム・ジョーンズやローリング・ストーンズをバーンとやったら、『オッケー。この子たち、やらせてください』と事務所の社長が手をあげて」

大ヒットメーカー、阿久×都倉コンビが手掛けた「個人授業」は、それまでの歌謡曲のジャンルを軽々と超えたポップス感覚に満ち、「あっ、やっとわかってくれる人がいた」と思った。レコーディングでは都倉から「自由にやってください」と言われ、持ち味を最大に引き出してくれたという。

「ぼくらの自慢は、兄妹であること。声質が似ているから、メーンボーカルとコーラスで完璧なハーモニーができる。スタジオやライブでは、晃(四男、フィンガー5のボーカル)の目を見るだけで声を合わせられる」

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