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勝負師たちの系譜 棋士の引退(下)青野照市九段「こんな負け方で…」 中尾敏之六段、人生最大の大一番 華やかなタイトル戦の陰で行われる過酷な勝負

zakzak by夕刊フジ / 2024年6月22日 15時0分

最後の年に鮮烈な印象を残した中尾六段(夕刊フジ)

引退が決まっていた私の最後の竜王戦は、先週の13日に行われた。

相手は泉正樹八段。彼の体調が思わしくないため、椅子での対局だった。

椅子対局といえば45年前、故升田幸三実力制第四代名人は膝が悪く、椅子対局を打診したが、当時は理事会が拒否。

そこで雑誌の企画として、対局ができるかどうか若手との三番勝負で試してみる、という企画が行われた。しかし2局目に私(当時五段)に敗れた氏が、そのまま引退を表明するということがあった。

竜王戦は相掛かりから、私は懐かしい棒銀戦法を選び、一進一退の展開へ。

駒得をしている私が切れてしまいそうな不思議な展開になったが、最終盤に突然私の勝ち筋となった。

最後はどうやっても詰みとばかり、安全な保険もかけずに詰ましに行ったのが詰まず、大逆転。

詰まないと分かった夕食休憩では、こんな負け方で将棋人生が終わるのかと、内心笑えたものだった。最後までドジをやるところが、私らしいかも。

もし勝っても、私の場合はどこで引退になるかだけだが、最後の対局が人生最大の一番になった棋士がいる。私の弟弟子の中尾敏之六段だ。

中尾は静岡県富士市の出身で、23歳の時に四段になった。

残念なことに彼は、2007年にフリークラスに降級する。10年の間に復帰できる成績が取れなければ、引退だ。

9年間は成績が振るわなかったが、最後の年に彼は大爆発を見せた。

年度初めから中尾は勝ち出し、佐藤康光九段相手に246手まで粘って、入玉で逆転勝ちしたことがある。また牧野光則五段(当時)相手に、入玉して歴代最長の420手で、不利な将棋を持将棋に持ち込んだことも記憶に残る。

「そんなに強いのなら、もっと早くに勝てよ」と私などは思ったものだった。

しかし相手もプロ。簡単に復帰する成績は取らせてくれず、年度の最終局に勝てばC級2組に復帰し、最悪でも現役は13年延長。敗れれば即引退という一番となった。

相手は新鋭の青嶋未来五段(当時)。中尾は序盤から優勢に進めたが、意識し過ぎたか決め手を逃して敗れた。

局後「9年間、一度も勝ち越した年がないから仕方ないです」と言った言葉が印象に残った。

現在は地元富士で、違う仕事をしながら将棋の普及にも努めている。

華やかなタイトル戦の陰で、こんな過酷な勝負も行われているのだ。

■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。

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