1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 政治

杉原誠四郎「続・吉田茂という病」 当時の吉田茂首相がマッカーサーに忖度 「自衛のためにも戦力持てない」憲法解釈を固めた 「大宰相」評価を与えてはならない

zakzak by夕刊フジ / 2024年6月11日 6時30分

来月8日には、凶弾に倒れた安倍晋三元首相の3回忌がやってくる。安倍氏は亡くなるまで、政治生命を懸けて「戦後レジームからの脱却」を叫んでいた。

「戦後レジーム」とは何か。その最も中核は、「自分の国を自分で守らない」という日本国憲法の体制ではないか。

この日本国憲法を日本に押しつけたのは誰か。人物でいえば、日本が戦争に負けて連合国軍の占領下に置かれたときのGHQ(連合国軍最高司令部)最高司令官、ダグラス・マッカーサー元帥である。

実際、マッカーサーは占領軍内で、いわゆる「マッカーサー3原則」を示して憲法草案をつくらせ、それを日本政府に押しつけた。

そのマッカーサーは1951(昭和26)年4月、最高司令官を解任された。マッカーサーは帰国後、米上院軍事外交合同委員会で、「日本が主権を回復すれば、占領軍の占領政策は直ちに日本の歴史や文化や文明に合うように修正されていくであろう」と証言した。

この発言は、直接には経済制度の改革に関係して出てきたものである。だが、これを一般に広げて、すべての占領政策、すなわち占領下で改正されてできた日本国憲法に広げてみても、いっこうに差し支えない。

確かに、マッカーサーは「日本を武装をしないで平和を保つ国家にしたい」という夢を、占領期ほぼ全期を通じて抱いていた。そのため、日本に押しつけたときの憲法草案では、現在の第9条の戦争放棄の条文は、自衛戦争のためにも戦力と交戦権は持たないというものであった。

しかし、帝国議会の審議過程で、いわゆる「芦田修正」で第2項に「前項の目的を達するため」という文言が入り、自衛のためには「戦力」を持てると解釈できるものに変わった。

占領軍、そして日本の占領政策を国際的に決める最高機関である極東委員会は、その修正を認め、代わりに第66条第2項に「国務大臣は文民でなければならない」の文言を入れるよう要求したのだ。

当時の吉田茂首相はそのことを十分に知りながら、マッカーサーの内心を忖度(そんたく)した。占領が終わるまで、日本は自衛のためにも戦力は持てないという、「芦田修正」以前の解釈に固執した。

吉田は占領解除、主権回復(1952年4月)後も首相を続けた。結局、本来は自衛のために戦力と交戦権を持っている憲法をして、持てないという解釈を日本に取り込んで固めてしまったのだ。

憲法9条につき、このように鳥瞰(ちょうかん)したとき、吉田は日本をして、自分の国を自分で守らない半主権国家にしたということになる。その結果を鑑みれば、絶対に「大宰相」というような評価を与えてはならない首相だということが分かる。

■杉原誠四郎(すぎはら・せいしろう) 教育研究家、日本近現代史研究家。1941年、広島県生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。城西大学教授、武蔵野大学教授を歴任。現在、国際歴史論戦研究所会長。著書・共著に『日本の神道・仏教と政教分離』(文化書房博文社)、『吉田茂という反省』『吉田茂という病』(ともに自由社)、『安倍晋三の黙示録としての「要説・吉田茂という病」』(Kindle版)など多数。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください