椎名誠の街談巷語 無人島には二種類ある 棄てられた島で感じた生き物の気配…出会って察した山羊の孤独の日々
zakzak by夕刊フジ / 2024年6月21日 6時30分
むかしから無人島が好きで、頼まれたわけでもないのにこれまでセッセと国内外のいろんな無人島に行ってきた。
無人島には二種類ある。むかしからの無人島、つまり誰もヒトが住んだことのない島とそこに住んでいた島民が少しずつ離島していって無人島になってしまった、という棄てられた島のふたとおりだ。
かつて人が住んでいたことのある島でキャンプしていると、あちこちで人間の暮らしの痕跡に触れる。そこが絶海の孤島になればなるほどやるせない気持ちになる。一人のキャンプのときはバージン、つまりずっとむかしから無人島だったところのほうが気が楽だ。
瀬戸内海にそういう小さな島を見つけ漁師に頼んで小舟で渡った。瓢箪島といった。本当にヒョウタンのような形をしていてひとまわりするのに歩いて十分もかからない。
島のまわりに帽子の庇(ひさし)のような狭い浜がぐるりとあった。渡してくれた漁師に翌朝迎えにきてもらう約束をした。漁師は「あの島はあちこちに海ぼうずが出るぞ」と本気で注意してくれた。
夜には完全な暗闇になる。焚火か、手持ちのライトしか光はない。そういう状態を求めていったのだからそれでいいんだけれど、思いがけなく怖い状況になった。
流木を集めてキャンプファイヤーをつくりウイスキーを飲んでいたら夜中に何かを感じたのだ。生き物の気配だった。そんな小さな島での生き物の存在は想定外であり、恐ろしくもあった。持っていった大きな懐中電灯をつけてそのナニモノカをつきとめるために周囲を歩いた。すると不器用に逃げていく何か白いものが見えた。
一瞬モーレツな恐怖を感じた。それが幽霊だとしたら逃げ場はない。正体を見極めないとやっていけない気分になった。どんどん歩いていってついにそいつをつきとめた。
山羊だった。
目がライトを反射して赤く光る。怯えているようだった。
どうしてそんなものが住んでいるのかわからなかった。追い詰められて迷惑しているようだった。それはそうだろう。でもぼくとしてもどうしようもない。ほうっておくと間もなくトコトコ逃げたが、全速力でどこかに逃げる、というわけでもなかった。山羊は山羊で無人島での生活に退屈していたのかもしれない。それ以上かまわないことにしていると、そいつは五、六メートルぐらいのところまで近づいてきた。でもそれからどうすることもできず困ったようにしていた。山羊は山羊で焚火と人の気配によろこんでいるようでもあった。はじめて知ったが山羊はおとなしい動物で、ヒトの近くにいるだけで満足しているようだった。山羊の孤独の日々、というものを察したのだった。漁師のいう「海ぼうず」というのは朝がたの強い海流によってできる大きな渦だった。漁師は山羊のことはまるで知らなかった。
■椎名誠(しいな・まこと) 1944年東京都生まれ。作家。著書多数。最新刊は、『続 失踪願望。 さらば友よ編』(集英社)、『サヨナラどーだ!の雑魚釣り隊』(小学館)、『机の上の動物園』(産業編集センター)、『おなかがすいたハラペコだ。④月夜にはねるフライパン』(新日本出版社)。公式インターネットミュージアム「椎名誠 旅する文学館」はhttps://www.shiina-tabi-bungakukan.com
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