1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

もっと知っていると10倍楽しい「光る君へ」キーパーソン 左大臣にまで上り詰めた藤原道長 娘・威子の入内で詠んだ歌がどんな状況で出るか 道長の心情もドラマの見どころ

zakzak by夕刊フジ / 2024年10月1日 11時0分

新たな道長を演じる柄本佑(夕刊フジ)

後半戦を迎えたNHK大河ドラマ「光る君へ」。さらに楽しむために知っておきたいキーパーソンに注目した。

藤原道長(柄本佑)はまひろ(吉高由里子)との結婚をあきらめ、左大臣源雅信の娘・倫子(黒木華)に婿入りし、左大臣にまで上り詰めた。

長保元(999)年、娘・彰子を12歳で一条天皇に入内させると、約9年後に敦成親王を出産。2年後には敦良親王も産まれた。その後、娘の妍子を三条天皇の中宮にする。

道長は娘を次々入内させた権力欲の塊のように描かれることが多いが、柄本道長はよりよい世にするため、必死になる政治家だ。彰子の入内も当初は考えていなかったが、安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)や姉の詮子(吉田羊)に「道長もついに血を流すときがきたということよ」と言われ、泣く泣く決断する。その回のタイトルは「いけにえの姫」。なかなかにすさまじい。

道長と三条天皇とは確執が生じ、内裏が火事で焼失したり、道長もケガをしたり、神鏡を納めた櫃が奇怪な音を出すなど不穏な出来事も続いた。すると道長は帝の眼病などを理由に退位を迫り、彰子の生んだ後一条天皇(敦成親王)を即位に導く。さらに三条帝崩御の翌年、寛仁2(1018)年には、三女の威子を後一条天皇に入内させる。このとき帝は11歳、威子は20歳だった。「一家立三妃」。威子入内の祝いの二次会で詠んだのが「此の世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」だった。この歌がどんな状況で出るか、道長の心情もドラマのみどころだ。

その翌年、道長は出家。壮麗な法成寺の建立に力を注ぐ。高野山参詣や有馬温泉での湯治などしていた万寿2(1025)年、不幸が襲う。小一条院(敦明親王)女御となっていた寛子、東宮敦良親王妃の嬉子、2人の娘を亡くしたのだ。六女の嬉子は臨月のときに発疹のできる病(麻疹とも)を患った。産気づいたときに加持祈祷はよくないと陰陽師に止められたが、道長は自ら加持。嬉子は親仁親王を生んだ後、19歳で薨去。道長が亡くなるのはその2年後。背中に腫物ができ、針で治療された際には、絶叫したといわれる。

紫式部の動静は史実でははっきりしないが、ドラマでは常に2人の運命は響き合っている。ラストシーンは笑顔か涙か。見定めたい。 (時代劇研究家・ペリー荻野)

■光る君へ 2024年1月7日から放送中のNHK大河ドラマ第63作。脚本は大石静。主演は吉高由里子。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください