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舟木一夫 出会いと別れの80年Part2 フランク永井 4歳時の「急性アルコール中毒」がトラウマ、舟木一夫が〝筋金入り〟の下戸と知らず「俺が飲めるようにしてやる」

zakzak by夕刊フジ / 2024年11月28日 11時0分

歌手の舟木一夫(夕刊フジ)

舟木一夫は愛知県一宮市から上京後、東京・新宿のアパートに住んで作曲家、遠藤実の教室でレッスンを受け、夜は上智大学グラウンド前の土手で発声練習を続けた。歌うのは、「夜霧の第二国道」などフランク永井の曲が多かった。

歌手になってからは、仕事場であいさつする程度だったが、22歳の頃、永井から電話があった。舟木が懇意にしていた著名な作家の〝お嬢さん〟と付き合ってくれないかというではないか。キューピッド役を頼まれたらしい。

実は、以前に舟木が父親からこの〝お嬢さん〟のことを聞かされ、「いいお嬢さんですね」と軽い気持ちで答えたところ、父親はGOサインと受け止め、〝お嬢さん〟の両親と縁談話を進め、婚約指輪を買って〝お嬢さん〟に手渡していた。

舟木は父親を怒鳴りつけ、〝お嬢さん〟に「親父の早トチリで…」と謝ったが、週刊誌ネタになってしまった。永井にその話を伝えて納得してもらった。この一件で2人は親しくなった。

ある時、舟木が酒を飲めないことを知った永井から「俺が飲めるようにしてやる」と酒指南が始まった。先輩も初めはまったく飲めず、コーラ9割、ウイスキー1割の薄めから始め、比率を徐々に逆転させていくことで、最後はボトル1本半を空ける大酒豪になったという。

永井の酒指南は徹底し、夜の街で何度も実地訓練が続いたが、舟木は4歳の時、父親が経営していた芝居小屋で、酒が入っているのを知らずに一升瓶を口に突っ込んで飲んでダウン。急性アルコール中毒と診断され生死のはざまをさまよった。それがトラウマになり、お酒が一切飲めなくなった〝筋金入り〟。結局、先輩の努力は徒労に終わった。

永井は「君恋し」で日本レコード大賞を受賞。NHK紅白歌合戦には連続26回出場したが、落選後は自殺未遂など不幸な後半生を送り、2008年10月27日、肺炎のため自宅でひっそり亡くなった。76歳だった。 =敬称略(大倉明)

舟木一夫(ふなき・かずお) 歌手。1944年12月12日生まれ、79歳。愛知県出身。63年6月、「高校三年生」でデビュー。橋幸夫、西郷輝彦とともに〝御三家〟と呼ばれ、人気を集めた。歌手だけでなく、ドラマや映画などで活躍してきた。2年後には芸能生活65周年を迎える。

12月10日(火)~12日(木)、大阪・新歌舞伎座で「カウントダウン80’」を開催。これに合わせて新歌舞伎座近くの大阪国際交流センター 1Fギャラリー「舟木一夫展 2024 79~80」も開催される。

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