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ソロデビュー40年 荻野目洋子の輝く理由 荻野目洋子、父親の想いを繋ぐILOの啓発活動 2021年にサポーターに就任

zakzak by夕刊フジ / 2024年8月1日 15時30分

父(左端)とは虫の話や釣りなど趣味で意気投合していた(夕刊フジ)

ごく一般的なサラリーマン家庭の三女として生まれた荻野目洋子は、映画音楽好きな父親やビートルズファンの長姉の影響で幼い頃からさまざまな音楽に囲まれて育つ。

次姉は俳優の荻野目慶子で、慶子が映画「獄門島」(1977年、市川崑監督)に出演した際、市川監督に勧められて1シーンだけ出演したことがある。

そんな荻野目が最初に自分の小遣いで買ったレコードは石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」。民謡教室に通い始めた父親が風呂場で気持ちよさそうに歌っていたことから好きになったという。

「私も子供向けの民謡教室に通うようになったのですが、小学2年生のとき、近所の夏祭りのど自慢で『津軽海峡~』を歌ったら2位になって。人前で歌ったのは初めてでしたが、その頃から『将来は歌手になりたい』と考えていた気がします」

歌手・荻野目洋子の誕生に多大な影響を与えた父親はILO(国際労働機関)東京事務局の職員だった。

「デビュー後に父のオフィスに行ったとき、世界の労働問題を扱っていることを知って尊敬の念が芽生えました」

それが縁となり、荻野目は2021年、ILOのサポーターに就任。児童労働をなくそうという音楽キャンペーンに参加し、自ら作詞作曲を手がけた「宝石~愛のうた~」を22年に発表した。

「テーマがシリアスなので、重くなりすぎないよう、明るくポジティブなイメージの楽曲にしました。どの国に生まれても、どんな環境に住んでいても、一人一人の心に大切な輝きがあるというメッセージを込めています」

3人の子供を育ててきた母親の顔も持つだけに近年知られるようになったヤングケアラーの問題にも心を寄せ、出張授業を通じた啓発活動にも取り組んでいる。愛する父親は07年に旅立ったが、志は娘にしっかり受け継がれているといえる。

「『人は平等なんだよ』という父の言葉が忘れられません。自分にも何かできることがあるかもしれないと思って活動に参加していますが、誰もが人間としての尊厳を大切にされる世界の実現に向けて、少しでもお手伝いができればと願っています」

(濱口英樹)

■荻野目洋子(おぎのめ・ようこ) 1968年12月10日生まれ。84年「未来航海」でデビュー。85年、「ダンシング・ヒーロー」でブレーク。2001年に結婚し3児の母に。全曲自作のアルバム「Bug in a Dress」=写真=をライブ会場、もしくは通販のみ限定発売中。現在全国ツアー中で、8月31日は長野市芸術館メインホールで開催する。

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