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昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝 中田喜直(作曲家)「夏の思い出」「ちいさい秋みつけた」など作曲「当たるか当たらないかではなく…いい曲を作りたい」

zakzak by夕刊フジ / 2024年7月19日 11時0分

日本人の心に残る多くの名曲を手がけた中田喜直さん(夕刊フジ)

作曲家の中田喜直さんは戦後、多くの童謡、歌曲、合唱曲を手がけた。巷間(こうかん)の流行歌ではないが敗戦後の日本で多く歌われたこともあり、昭和世代は忘れられない作曲家だろう。

音楽一家で育った中田さんは1935年、ショパンを描いた映画「別れの曲」を見て心酔。ピアニストを志望し、東京音楽学校予科に進み、ピアノ、作曲を勉強した。卒業後は陸軍飛行学校に入校し、戦闘機操縦者となった。フィリピン、インドネシアに赴き、そして本土で終戦を迎えた。

46年から、NHK「ラジオ歌謡」「うたのおばさん」といった番組で、作曲家として活動を始めると、「夏の思い出」「雪の降るまちを」などを作曲した。

この時代はラジオから流れる歌が何よりの憩いの時間だった。戦後間もなかったから、恋愛歌とはいかなかった。心安らぐ歌が何よりだった。

60年、ザ・ピーナッツが歌った「心の窓にともし灯を」はペギー葉山、ダーク・ダックス、倍賞千恵子らが競作。62年、ボニージャックスの「ちいさい秋みつけた」(サトウハチロー作詞)とともに、小中学校の音楽の教科書に掲載されるなど、半世紀たった今も愛されている。

53年頃からは、女声合唱団のための作曲を始め、さらに兄でファゴット奏者の中田一次さんのほか、学生時代の仲間たちと数多くの童謡と楽譜を発表した。

79年に日本童謡協会の会長をサトウハチローから引き継ぐと、新作発表の童謡祭を立ち上げ、84年には7月1日が「童謡の日」に制定されることになる。

校歌や県民歌は250以上 作曲数は3000超え

日本全国の中学・高校の校歌や、県民歌など250曲以上を手がけており、作曲数は3000曲以上ともいわれる。

そんな中田さんだが、自身の作曲については業界誌にこう記している。

「作曲する時、この曲が当たるか当たらないか、ということではなく、いい曲を作りたい、という気持ちで作るわけである。作曲は競馬や競輪ではないのだから、爆発的なヒットなどは例外中の例外と考えて、じっくり落ち着いて作曲していきたい」

■中田喜直(なかだ・よしなお) 1923年8月1日~2000年5月3日。76歳没。

■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問、日本ゴスペル音楽協会顧問。1950年生まれ。東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)で制作ディレクターとして布施明、五木ひろしらを手がけ、椎名林檎らのデビューを仕掛けた。2010年に徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役社長に就任し、Perfumeらを輩出。17年に退職し現職。

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