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椎名誠の街談巷語 パリ五輪で思った、電子ゲームのように変わった柔道「小さくなった」イメージ

zakzak by夕刊フジ / 2024年8月9日 6時30分

むかしヘッポコながら柔道をやっていた。

試合にもけっこう出させてもらえたが負け試合のほうが多かった。ぼくは七十キロ前後だった。当時は軽量、中量、重量、無差別級というふうに分けられていた。一九六四年の東京オリンピックの頃まではこの体重の区分けだったように思う。

その頃、無差別級の世界王者はオランダのヘーシンクという選手で、体が大きいのにピョンピョン跳ねるような軽い気配のする選手だった。

当時、オランダ人はとにかくでっかい、という印象だった。後年、オランダに行ったとき、この国は男も女もとにかくみんなやたらにでっかいんだなあ、ということをまのあたりにしてたじろいだ。ズンドウの人が多く、腰のくびれがはっきりしないオリガミの姉様人形を連想した。

今度のパリオリンピック柔道のテレビ中継をひととおり見ていたが、むかしの柔道とちがって、えらくスピードアップしているわりには退屈な試合が多いように思えた。基本の「スリ足」ではなく、ボクシングみたいな跳ね足の選手が多いのもどうにも不満だった。

どのクラスの選手も柔道着をつかむのが格段に早くなっていたが、その手が「襟と袖」ではなく「柔道着のどこか」ということになっているようで気になった。展開が早いのだが、足技がとどかないようなやりとりをしているのでその結果引き腰になっているのがもどかしかった。まあこっちは当事者じゃないから好きなことをいろいろ言ってるんだろうれど。

全体に、しっかり組み合わないうえ、こまかくなっていることが弊害になっているんじゃないか、と思った。あれでは柔道本来がもっている「柔らかさ」とか「流れのなか」とか「気合」とか「切れ味」なんていうものがみんなどこかに消えてしまって、せわしない試合が多く、なにかのゲームみたいになっているように思えた。

ビデオ判定がけっこう多いのにも驚いた。こういう科学的判定にとりかこまれていくのは時代の流れなのだろうけれど、審判団だけがそれを見ているのはなんだかヘンだった。大相撲だって勝負のあとすぐにスロービデオが出てくる時代なのだから、どっちに有利だったかわからないような判定が多くなるとおかしな気持ちになってくる。少なくとも双方の選手やコーチ陣にはすぐに見せるべきじゃないのか。

「指導」なんていう小さいことを相手に重ねさせることが重要視されていくと、全体に「小さくなってしまった」というイメージになりそうだ。

こういうのを近代柔道というのだろうか。

外国人は「巴投げ」が好きなようだ。むかしあの技は、練熟のわざ師が動きの流れのなかで大男を一瞬のうちに丸めて放りだすような技だった。でも、今の巴投げは軽業師のドサクサな足がらめ技とでもいうものになっていてもう柔道技ではないように思えた。

■椎名誠(しいな・まこと) 1944年東京都生まれ。作家。著書多数。最新刊は、『続 失踪願望。 さらば友よ編』(集英社)、『サヨナラどーだ!の雑魚釣り隊』(小学館)、『机の上の動物園』(産業編集センター)、『おなかがすいたハラペコだ。④月夜にはねるフライパン』(新日本出版社)。公式インターネットミュージアム「椎名誠 旅する文学館」はhttps://www.shiina-tabi-bungakukan.com

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