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昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝 関沢新一(作詞家)心に刺さる!うんちくある名フレーズ「歌詞のヒントは歩いている外で拾う」…歌詞自体を忘れていることも

zakzak by夕刊フジ / 2024年7月18日 11時0分

日本レコード大賞で「柔」を披露する美空ひばり(夕刊フジ)

作詞家の関沢新一さんはシナリオライターであり、戦前の映画の助監督でもある。東宝映画では怪獣映画「モスラ」「キングコング対ゴジラ」などを手がけている。またSLファンなら誰もが知る写真家でもある。歌謡曲で稼いだお金をSL模型に注ぎこんだそうだ。

なんでもござれの関沢さんだが、作詞での代表作はやはり東京オリンピックが開催された1964年の美空ひばり「柔」(古賀政男作曲)だ。

«勝つと思うな 思えば負けよ»で始まるミリオンセラーの大ヒット曲である。この歌い出しは誰しもの胸に響いたものだ。第7回レコード大賞を受賞している。

76年の北島三郎「歩」(安藤実親作曲)もそうだが、タイトルは一文字である。七五調で表現され、「歩」などは詩吟でも唄われたという。

関沢さんの名フレーズはうんちくがあり、心にぐさりと刺さってくる。

そのあたりについては「机の前で詞を書くのではなく、町を歩きながら見つけた言葉をいったん頭にいれて、帰ったら書く。歌詞のヒントは歩いている外で拾うの。そこが俺の書斎よ」と話していたものだ。

それにしても、作った本人も知らないところで、人々の心に残っているという歌もある。

ヒット作家だけに、出先で色紙を渡され、サインを求められることも少なくなかった。

歌の題名と歌手の名前ぐらいなら間違えないが、肝心の歌詞自体を忘れていることがある。このため、頼んだ相手から「あんた、本当に関沢先生?」と一瞬疑いのまなざしを向けられたことがあったそうだ。業界紙でそう書いていた。

ヒット作品の苦労話というものはそれなりにあるものだが、逆にあまり覚えていないことだってままある。

期待に応えようと、ついつい盛り気味にしゃべってしまうこともある。「取り立てて書くほどのことでもない」と、関沢さんが言っていたのも今となっては分かるような気がする。

関沢さんは、映画の場面を思い浮かべながら、人間の喜怒哀楽を書かれたのではないだろうか。

■関沢新一(せきざわ・しんいち) 脚本家、作詞家。1920年6月2日生まれ、92年11月19日死去。72歳没。

■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問、日本ゴスペル音楽協会顧問。1950年生まれ。東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)で制作ディレクターとして布施明、五木ひろしらを手がけ、椎名林檎らのデビューを仕掛けた。2010年に徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役社長に就任し、Perfumeらを輩出。17年に退職し現職。

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