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海老原清治のNO GOLF NO LIFE 中学3年時の「まさか」で変わった人生 父が脳溢血で倒れ高校進学断念…食つなぐためのアルバイト先でゴルフにどっぷり

zakzak by夕刊フジ / 2024年9月18日 11時0分

イラスト・太田秀明(夕刊フジ)

結婚式の披露宴スピーチで、よく使われるネタに「三つの坂」がありますよね。上り坂と下り坂、そして「まさか」についての話です。夫婦生活には良い時もあれば悪い時もある。もしものことが起こったら、二人互いに力を合わせて「まさか」を乗り切るように…そんな内容です。

夫婦生活だけでなく、人は生きている間に何度も「まさか」と遭遇します。それによって人生がガラリと変わってしまうこともあります。今思えば、僕にとっては中学3年生の時の「まさか」が、まさにそれだったかもしれません。

魚屋を生業にしていた父親が、脳溢血で倒れてしまったのです。姉が4人いましたが、長男だった僕は父に代わって家族を支えなければならない。高校進学を断念し、働いて稼がざるを得なくなったのです。

魚屋の家業を継ぐのは、まったくのド素人には無理ですから別の仕事を探して、畳屋での働き口がなんとか見つかったのです。しかし、一歳下の弟と一緒に就職するため、弟の中学卒業を待たなくてはならず、食いつなぐために我孫子ゴルフ倶楽部でのキャディーのバイトを始めたのでした。

畳屋への就職までという期限付きアルバイトでゴルフ場へ通う日々が続く中、隣家の一歳上の友人、林由一は同倶楽部でプロゴルファーを目指していました。幼なじみが職場にいるのは心強かったです。そして、ある時、由一が声を掛けてくれたのです。

「ゴルフ場にせっかく来ているんだからゴルフをしてみたら」

5番アイアンとゴルフボール20球を僕に譲ってくれました。当時はゴルフクラブもゴルフボールも高価な時代でした。

かつて、小学生時代に由一の父親の由郎プロからゴルフの手ほどきを受けたことを思い出しました。おぼろげながらインターロッキングでクラブを握り、ボールを打ってみた。空振りはしませんでしたが、ジャストミートはできない。打ったボールは右へ右へと曲がって飛んでいくばかりでした。

「どうして右にしか飛ばないんだ?」

アルバイトの身でしたから、ほんのわずかな仕事の合間でしかボールを打てません。キャディーの仕事をしながらお客さんのプレーを見ては、真っすぐに打つ秘訣を考えてばかりになったのです。ゴルフにどっぷりハマったのでした。(構成・フリーライター伝昌夫)

■海老原清治(えびはら・せいじ) 1949年4月2日生まれ、千葉県出身。中学卒業後に我孫子ゴルフ倶楽部に入り、20歳で日本プロゴルフ協会プロテストに合格。85年の中日クラウンズでツアー初優勝。2000年から欧州シニアツアーに本格参戦し、02年に3勝を挙げて賞金王。20年、日本プロゴルフ殿堂入り。174センチ、74キロ、血液型A。我孫子ゴルフ倶楽部所属。

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