椎名誠の街談巷語 想像を絶した気温45度の「ハエ大陸」の恐怖 オーストラリア縦断中、助けられた…地球で一番暑さに強い人「アボリジニ」たち
zakzak by夕刊フジ / 2024年7月19日 6時30分
オーストラリアのアラン・ムーアへッドという著名なノンフィクション作家が書いた「恐るべき空白」は、十九世紀の頃、ヨーロッパの探検隊がオーストラリアの内陸部を縦断した記録だ。途中で探検隊のほぼ全員が「熱死」してしまう。
かつてぼくは一カ月ほどかけてその足跡をたどった。オーストラリア人、イギリス人ら三カ国、五人のチームだった。
暑すぎて喉や体に痛い空気、想像を絶する夥(おびただ)しいハエとのタタカイだった。ヨーロッパの探検隊が遭難したときの暑さは摂氏五十五度だったという。我々は冷房の効くクルマだったのでキャンプしつつなんとか移動していった。我々が体験した一番高い気温は四十五度だった。探検隊のときより十度も低かったが、それでも濃厚で重い熱波にとり囲まれる恐怖を体験した。
そういう世界では熱風が質量と重い圧力をもっていた。さらに、思考能力と運動機能がとてつもなく低下しているのを感じた。なんとかやっていけたのは日本みたいに身のまわりにまとわりつく湿気があまりなかったからだと思う。無理やり体を馴らしながらじわじわ移動していった。
ヨーロッパの探検隊の記録では隊員の髪がほとんど抜け、爪はみんなひび割れ、唇が乾いて腫れあがっていった。それでもドロのようになった水を飲んでなんとか生きていったようだ。その様子を記録するときにペン先のインクが常に乾いてしまうので書けなかったという。
オーストラリアのそういう環境で暮らしているネイティブは「アボリジニ」という。地球でいちばん暑さに強い人間らしい。ものすごい生命力と対応能力をもっていた。我々はそのアボリジニにいろいろ助けられた。
我々の水はやがて足りなくなり、意識が朦朧(もうろう)として狂いそうになったが、彼らは砂漠にいる虫や爬虫類を食べ、砂ガエルを手で潰してその体内にある体液を飲んでいた。さらにワジ(枯れた川)の底に椀のような木の実の殻を強引に押し込んで、染みてくる水を飲んでいた。
アボリジニがよく食べているのは尾まで入れると最大一メートルはある砂トカゲだった。焚火の火を取り払い、その熱い砂のなかで蒸し焼きにして食っていた。我々はアボリジニに肉のかたまりを貰ってそれを焼いた。
そういう肉を食べだすとあたりの風景が黒ずんで見えるようなものすごいハエの大群がやってきて顔に集中的にたかってくる。目のまわり、鼻の穴のまわり、口のまわりにズラリととまった。人間のからだのなかで少しでもシメリケのあるところを狙ってくるのだ。
それはとてつもなくつらい経験だった。神経がやられそうだった。オーストラリアの中心部は「ハエ大陸」ということがよくわかった。肉のカタマリはたかってくるハエでまっくろになった。肉にしがみつくと逃げずにそのまま炎に焼かれていくアッパレなハエもいた。
■椎名誠(しいな・まこと) 1944年東京都生まれ。作家。著書多数。最新刊は、『続 失踪願望。 さらば友よ編』(集英社)、『サヨナラどーだ!の雑魚釣り隊』(小学館)、『机の上の動物園』(産業編集センター)、『おなかがすいたハラペコだ。④月夜にはねるフライパン』(新日本出版社)。公式インターネットミュージアム「椎名誠 旅する文学館」はhttps://www.shiina-tabi-bungakukan.com
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