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昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝 作詞・作曲家、杉本眞人 「お久しぶりね」で歌謡ポップスとして軽快なリズムに乗った大人の小柳ルミ子誕生

zakzak by夕刊フジ / 2024年10月9日 11時0分

妖艶な路線へとシフトしていく小柳ルミ子(夕刊フジ)

巷間(こうかん)、どこかで聞いた声だと思ったら杉本眞人さんだった。詞の内容は離婚した中年オヤジの母へのメッセージソング。まさに団塊世代の男子たちの胸に響いてくる。

2007年、すぎもとまさと名義で歌った「吾亦紅」だ。レコード大賞作詞賞。オリコン総合2位、演歌歌謡チャート1位。同年のNHK紅白歌合戦ではソロ最年長の初出場歌唱記録となる。

「吾亦紅」の花言葉は「感謝」「愛慕」。歌詞にある«あなたの形見の言葉 守れた試しさえないけど、来月で俺離婚するんだよ»と私小説風ドラマだった。

母親の死去後、情けなく、切なく、悔やんでもきりがないという思いの中で茫然自失の日々を送っていた杉本さん。そんなとき、母親の通夜で作詞家のちあき哲也氏から墓前に供えてほしいと渡された詞を思い出し、メロディーをつけたと、後に手記で明かしている。

杉本さんは1972年、「フォーメン」というソングライターグループを結成するも、75年に解散し、「M氏への便り」でソロデビュー。

当時、ソロアルバム「あすふぁると」(75年)を聞かせてもらった。ハスキーな声で高円寺あたりの都会風フォークソングだったと記憶している。

杉本さんとは、「スター・オン・ステージ あなたならOK!」(NETテレビ、現テレビ朝日系)の第1回優勝者だった藍美代子の6枚目のシングル「母」(76年、吉田健美作詞)で仕事をした。この曲も母への思慕の歌だ。「吾亦紅」に「母」と通じるものを感じた。

71年に純情歌謡路線でデビューした小柳ルミ子の次なる方向性を決めたのが、杉本さんの作詞作曲の「お久しぶりね」(83年)「今さらジロー」(84年)「乾杯!」(85年)の3部作だ。歌謡ポップスとして軽快なリズムに乗った大人の小柳ルミ子の誕生だった。

当時の渡辺プロダクションの制作部担当課長だった諸岡義明さんから「思い切りやってみろ」と励まされたんだと、杉本さんから聞いた。諸岡さんは口数少なく、とても親分肌の人だった。後でわかったことだが、小柳の現場マネジャーも杉本さんも諸岡さんと大学が同じで後輩だったのも何か縁であった。

■杉本眞人(すぎもと・まさと) 1949年4月30日生まれ、75歳。東京都出身。

■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問、日本ゴスペル音楽協会顧問。1950年生まれ。東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)で制作ディレクターとして布施明、五木ひろしらを手がけ、椎名林檎らのデビューを仕掛けた。2010年に徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役社長に就任し、Perfumeらを輩出。17年に退職し現職。

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