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大橋純子の50年 永遠のシティポップクイーン 大橋純子、1978年に歌謡曲寄りの「たそがれマイ・ラブ」大ヒットでライブのノリに変化 求められることとやりたいことの違いに直面

zakzak by夕刊フジ / 2024年11月14日 11時0分

人気が出るほど、やりたいこととのギャップも…(夕刊フジ)

「シンプル・ラブ」(1977年)のヒットでニューミュージック界を代表する存在となった大橋純子は、バックバンド「美乃家セントラル・ステイション」との共同名義で意欲的なアルバムを次々と発表する。

楽曲の多くは美乃家の佐藤健(大橋のパートナー)と土屋昌巳(のちに一風堂を結成)が書き下ろしていたが、大橋自身もアルバムごとに数曲の作詞を担当。さらに外部の作家では近年のシティポップブームで再注目されている林哲司(作曲)や松本隆(作詞)らが作品を提供していた。

バンド活動が軌道に乗り始めた78年、担当ディレクターの本城和治のもとに音楽出版社の日音からある企画が持ち込まれる。それは森鴎外の生涯を描く3時間ドラマ「獅子のごとく」(TBS系)の主題歌を大橋に歌ってほしいというものだった。日音から「作詞は阿久悠、作編曲は筒美京平にしたい」と言われた本城はその提案を承諾。程なくしてヒット確実と思われる楽曲「たそがれマイ・ラブ」が届く。

ただし当初のタイトルは漢字のみで書かれたポップスらしからぬもの。本城の記憶では「伯林(ベルリン)慕情」だったかもしれないとのことだが、阿久の了解を得て変更したという。タイトルに人一倍こだわる阿久は後年、自身のエッセーで「実に珍しいことなのだが変えられた。(中略)うまくいき過ぎて、元々ぼくはどういうタイトルの下にこの詞を書いたのか、思い出せない」と述懐するほど、「たそがれマイ・ラブ」は詞の世界観にマッチしたということだろう。

歌う大橋は歌謡曲寄りの曲調に当初は戸惑いを見せたものの、バンド活動とは切り離した形でリリースすることに同意。ソロ名義で78年8月に発売されると大ヒットを記録し、日本レコード大賞で金賞を受賞する。

お茶の間にも知られるようになった大橋だが、反動もあった。ライブでは美乃家の演奏でファンク色の強い楽曲を歌っていたが、「たそがれ~」を期待する歌謡曲好きの観客が増えたため、会場のノリが変わってしまったのだ。求められることとやりたいことの違いに直面したこの時期、バンドのメンバーが入れ替わり、第二期・美乃家の活動がスタートする。 (濱口英樹)

■大橋純子(おおはし・じゅんこ) 1950年、北海道生まれ。74年にデビューし、日本人離れした歌唱力でヒットを連発。その音楽性がシティポップブームで再注目される中、2023年に73歳で死去。11月6日にデビュー50周年を記念した「THE BEST OF 大橋純子1974―1988」(ユニバーサル ミュージック)と「THE BEST OF 大橋純子 1988―2024」(バップ)が同時発売された。

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