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昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝 小椋佳(上)「シクラメンのかほり」に70年代の新しい空気感 布施明にとって初のミリオンセラー、歌詞はどこか文学的な香りが

zakzak by夕刊フジ / 2024年11月19日 15時30分

小椋佳(夕刊フジ)

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中村雅俊が歌った青春ドラマ「俺たちの旅」(日本テレビ系、1975年)の主題歌を作詞作曲したのが小椋佳。オリコンチャートに45週もチャートインし、87万枚の大ヒットとなった。

入社2年目で布施明の担当ADだったころの私が、今度の新曲だと詞を見せられたのが、小椋の「シクラメンのかほり」(75年)だった。過去の歌謡曲の詞と違い、70年代の新しい空気感の匂いがした。萩田光雄編曲によるイントロのギターのサスフォー(sus4)のコード(不安感)も絶妙だった。

布施の歌唱は折り紙付きだけに瞬く間に火が付き、日本レコード大賞、日本歌謡大賞などを総なめにし、オリコンで年間1位の大ヒットとなった。布施にとっても初のミリオンセラーだ。

小椋の歌詞はどこか文学的な香りが漂い、中原中也の「私の上に降る雪は真綿のようでありました」という詩を思い浮かべた。

82年、梅沢富美男の「夢芝居」は50万枚超えの大ヒット。梅沢はこの曲でNHK紅白歌合戦出場を果たした。イントロの拍子木が鳴ると、今にも役者が登場しそうな臨場感あふれる桜庭伸幸の編曲も見事だった。

そして、何といっても86年の美空ひばりの「愛燦燦」だ。太陽の光ではなく愛が燦燦とこの身に降って…すごい表現である。2007年の「NHK紅白歌合戦」では小椋が生前のひばりの映像とデュエットを披露した。

小椋自身の楽曲はすべて元モップスの星勝が編曲を担当したが、曲を提供した歌手にはそれぞれに適した編曲家がついて、音の世界観を見事に作り上げている。編曲家が競うようにサウンド面を盛り上げた。歌謡曲もこのあたりから編曲を注視するようになった。

09年、民謡歌手の高橋孝に興味を持ち、問い合わせると小椋の事務所に所属していた。08年にミニアルバム「初恋草」でデビューし、インドネシアまで行ってMVも作った。翌年にはミニアルバムをリリースしたが、高橋の体調不良で活動はストップしてしまった。

後日、一緒にゴルフをして一番驚いたのは、グリーンに寄せるときにはすべてが安全な転がし打法だった。とにかく自分のやり方、リズムを変えない人だった。 =敬称略

■小椋佳(おぐら・けい) シンガー・ソングライター。1944年1月18日生まれ、80歳。東京都出身。71年に歌手デビュー。長年銀行マンとの二足のわらじだったが、93年に銀行を退職。2023年でコンサート活動から引退した。

■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問、日本ゴスペル音楽協会顧問。1950年生まれ。東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)で制作ディレクターとして布施明、五木ひろしらを手がけ、椎名林檎らのデビューを仕掛けた。2010年に徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役社長に就任し、Perfumeらを輩出。17年に退職し現職。

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