椎名誠の街談巷語 秋の信州、おっさんの口笛は「津軽海峡冬景色」 久々の特急「あずさ」に乗って感じた…列車の旅の良さ
zakzak by夕刊フジ / 2024年10月18日 6時30分
久しぶりに特急「あずさ」に乗った。
仕事で松本へ行くことになったためで、始発の新宿からの乗客は半分ほどだった。
ホームも車内も相変わらずでっかい荷物の外国人が多い。かれらはどうしてあんなにみんな引っ越しみたいになっているのだろう。ま、しかし、そんなことを考えてもしようがないのだけれど。
よく晴れて遠くに浮かぶ雲が「カキワリ」みたいにくっきりしている。
大月からは満席になった。ぼくの窓がわの席にも客が座った。ぼくよりも十歳ぐらい若い、職人風の人だ。半白の短い髪は角刈りである。カッコいいのだ。タカクラケンみたいだ。小荷物袋らしきものと、今し方買ったばかりらしい弁当の包みを持っている。席に座るとすぐにその弁当をひろげた。おお。やるなあ。うどん弁当であった。
まず、ツユを全体にかける。小袋のワサビをキリキリ出してさあおもむろにススりますか、と期待していると、おっさんは別に用意してあるカンビールをひっぱりだし、プチンとあけた。そうだよなあ。わかってんだよなあ。あと三十分で正午だ。
昼といってもこっちにはめしは何もない。それはまあいいんだ。
おっさんは軽快にグビグビやっている。それもまあいいんだ。車窓からは早くも田園の広がりと農家の風景がつらなっている。
おっさんはやがてビールをプハーッとやりつつ「うどん」にとりかかっている。全体の流れによどみがない。
が、しかし、その「うどん」はどうも保存が冷蔵庫だったんだろう。見るからに全体が重く、くっちゃりしているかんじで、粋にシャキシャキつるつるやっていくわけにはいかないみたいだ。そこがやや残念である。
しかし、それにしても、こっちは暇である。といっておっさんのことをずっと見ているのは失礼だから、ときどきチラリと見ては羨ましがっているのである。
おっさんのうどんをススるペースはすさまじく、窓のむこうの野も田も森もずんずん走り去る。昼食のすんだおっさんはバッグから、むかしよく見かけた大きなヘッドホーンをひっぱりだした。昭和のかおりのするそいつをちょっと調整し、両耳にかけている。思いがけない展開にややうろたえる当方。意外な組み立てだった。
間もなくモレ聞こえてきたのはまぎれもなく演歌のしらべ。ジャジャジャジャーン! おお! あれは、石川さゆりの名曲ではないか。「津軽海峡冬景色」だ。窓のむこうは「信州秋景色」だ。どっちにしても贅沢な風景である。間もなく、おっさんは曲と風景に合わせるようにして口笛を吹きはじめた。津軽と信州ではだいぶ違うが、でも演歌と口笛だからそれでいいのだ。ここは車内なのでごく控えめ口笛である。そうか、おっさんはいま気持ちがいいんだろうなァ。わかります。
そのうちに歌が出はじめた。でもはっきりした歌詞までは声に出さない。口をすぼめてスースー、ヒューヒューいうような歌い方で、その歌もいつの間にかぼくの知らない曲に変化していた。
■椎名誠(しいな・まこと) 1944年東京都生まれ。作家。著書多数。最新刊は、『続 失踪願望。 さらば友よ編』(集英社)、『サヨナラどーだ!の雑魚釣り隊』(小学館)、『机の上の動物園』(産業編集センター)、『おなかがすいたハラペコだ。④月夜にはねるフライパン』(新日本出版社)。公式インターネットミュージアム「椎名誠 旅する文学館」はhttps://www.shiina-tabi-bungakukan.com
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