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大橋純子の50年 永遠のシティポップクイーン 大橋純子、社会貢献を含めた幅広い活動「ヒット曲は歌い手だけのものではない」 故郷の夕張市が財政破綻した際に応援コンサート

zakzak by夕刊フジ / 2024年11月16日 10時0分

ステージに立ち続けた大橋純子(夕刊フジ)

2023年11月9日、大橋純子は73歳で旅立ったが、その前月にはもんたよしのりも他界している。2人はかつて同じ事務所とレコード会社に所属した僚友で、1983年にはコーセー化粧品のCMに起用された「夏女ソニア」でデュエット。実力派のコラボはオリコン16位のヒットを記録した。2人は翌84年もデュエットシングル「恋はマジック」をリリースするが、同作をもって大橋は充電期間に入る。

休業中はアルバム「POINT ZERO」(83年)の制作を通じてほれ込んだニューヨークに滞在。そのまま居住する選択肢もあったが、現地でスティングのコンサートを観たとき「やはり歌いたい。そのためには日本に帰るしかない」との思いが募り、帰国した。

88年、EPIC・ソニーに移籍した大橋はアルバム「DEF」を発表。スタジオワークは打ち込みが主流となり、その変化にカルチャーショックを受けたという。バンドブームの到来でキャリアのあるソロシンガーは軒並み苦戦を強いられていたが、大橋は真摯に音楽と向き合い続け、92年にその努力が結実する。バップ移籍第1弾シングル「愛は時を越えて」が大ヒットとなったのだ。

再ブレークを果たした大橋は当時のステージでは代表曲の「たそがれマイ・ラブ」や「シルエット・ロマンス」を封印していた。新しいスタートを切った今の自分には必要ないと思っていたからだが、ポール・マッカートニーがコンサートでビートルズ時代の「イエスタデイ」を歌う姿を観たとき、考えを改める。ファンが求めているのはヒット曲なのだということが、観客の立場になって分かったからだ。

「ヒット曲は歌い手だけのものではない」と気づいた大橋は2007年、故郷の夕張市が財政破綻した際に応援コンサートを開催。チャリティーアルバムとしてカバー曲を収録した「Terra」をリリースするなど社会貢献を含めた幅広い活動を展開していく。

がん闘病後も「Terra3」(19年)を発表し、ライブでは唯一無二の歌声を聴かせていた。それだけに早すぎる訃報は衝撃を与えたが、元祖シティポップクイーンの楽曲は色あせることなく、リスナーを魅了し続ける。 (濱口英樹)

■大橋純子(おおはし・じゅんこ) 1950年、北海道生まれ。74年にデビューし、日本人離れした歌唱力でヒットを連発。その音楽性がシティポップブームで再注目される中、2023年に73歳で死去。11月6日にデビュー50周年を記念した「THE BEST OF 大橋純子1974―1988」(ユニバーサル ミュージック)と「THE BEST OF 大橋純子 1988―2024」(バップ)=写真=が同時発売された。

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