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勝負師たちの系譜 浜松で「杏林堂杯日中友好青少年大会」 海外で一番、将棋ファンが多い中国 政情は不安定だが…文化面で交流重ねる大切さを実感

zakzak by夕刊フジ / 2024年8月17日 15時0分

指導棋士らと記念撮影に収まる優勝チーム(夕刊フジ)

7日、浜松グランドホテルにて、第7回「杏林堂杯日中友好青少年将棋大会」が開催された。

現在、海外で一番将棋ファンが多いのは中国で、数だけでなく、棋力も北京・上海では、アマ五段クラスが何人もいる。

上海からは過去、奨励会に入っていた子もいて、昨年に試験を受けた子は、今年も受けると聞いた。

中国で将棋が広まったのは、北京の李民生氏、上海の許建東氏の功績によるところが大きい。

きっかけは1995年、第8期竜王戦が北京で開催された折に、今後は少年宮(課外教育施設)で囲碁とともに、日本将棋もやっていこうと上層部が判断し、師範に指名されたのが、李氏だった。

ほどなくして日本で将棋を覚えた許氏が、上海に帰って熱心に普及したおかげで、将棋人口は爆発的に増えた。許氏は学校に行って、試しに一クラスだけ将棋をやらせてほしいと頼んだところ、そのクラスだけ成績が伸びたという。それを武器に、彼は上海中に将棋を広めていった。

私は当時、李氏と親しい友人が北京の豊田通商に勤めていた関係で、毎年春節に開かれる大会に、指導で行っていた。それが豊田通商杯となり、杏林堂杯として、日中の大会にまで発展したのだった。

第1回は北京で開催されたが、上海や内蒙古に近い銀川で開催できたのは意義深かった。広州にも多くの将棋ファンがいる。

今回は日本でということで、杏林堂本社がある、浜松での開催となった。

1チーム7人 混成での対抗戦

出場者は63人だが、中国から来た人が40人で、そのうち日本の少年が10人いたので、国別、地域別の対抗戦でなく、1チーム7人の混成チームでの対抗戦となった。

空き番のチームは私のほか、神谷広志八段、所司和晴七段、普及担当理事も兼ねた片上大輔七段らの指導を受けていた。

優勝したチームJは、日本人4、上海2、北京1という混成チーム。中国からはお母さん方も何人か来ていて、嬉しそうだった。

翌日は、静岡市に移動しての県知事訪問。静岡県は浙江省と友好提携し、卓球でも交流がある。杏林堂会長の渥美雅之氏は、卓球でも昔から浙江省を訪れていて、それもあっての訪問だった。

現在政情は不安定な両国だが、文化・スポーツ面では交流を重ねることが大切、としみじみ思った大会だった。

■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。

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