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日本の解き方 神田真人前財務官が出した〝卒業記念文集〟のような報告書 従来の見解垂れ流し…経済停滞の原因を誤診 「処方箋」も見当違いだ

zakzak by夕刊フジ / 2024年8月20日 6時30分

神田真人前財務官(夕刊フジ)

内閣官房参与となった神田真人前財務官は、財務省を退官する前、自らが座長を務めて懇談会を主催し、「国際収支から見た日本経済の課題と処方箋」という報告書を出している。

この懇談会は、学者・エコノミストを20人も集めて行われた。財務官が自ら座長になるのも異例だが、3月26日に第1回、その後、第5回まで懇談会を開き、実質的に3カ月という超スピードで報告書を作った。まるで卒業記念文集のようだ。

懇談会のメンバーは、〝親財務省〟のいつもの面々ばかりだ。議論の時間からも推測できるように、財務省の従来の見解をそのまま垂れ流しているようにみえる。

たとえばバブル崩壊後の30年間の経済停滞の理由について、「既存の雇用や企業を守ることに主眼を置いた支援策が長らく実施されたこと等から、資本・労働が生産性の低い分野に固定され、賃金上昇や設備高度化が総じて停滞してきた」ためだと断じている。

この根拠となっている資料は、労働市場の流動性と生産性や賃金成長率の関係を各国比較で示すものだけだが、労働市場の流動性がバブル前後で大きく低下したのだろうか。もともと日本は労働市場の流動性は低かった。バブル崩壊前後で経済成長率が変化したのは、労働市場の流動性ではなく、他の要因だろう。

マネーの伸び率は、名目経済成長率と相関係数0・9程度の極めて高い相関(1に近づくほど正の相関が大きい)をもっているので、マネー伸び率はそのまま名目経済成長率の順位となっているとみていい。

ざっくり言えば、1980年代までは結構まともな金融政策が行われていて、それによって高度成長も実現していた。しかし90年ごろのバブル崩壊後、〝羹(あつもの)に懲りる〟かのように日銀は緊縮気味の金融政策を続けた。間違った金融引き締めだったが、それが繰り返され、結果として世界最低水準のマネー伸び率となり、「失われた20年」になった。

それに加えて、日本だけが公共投資を怠ってきた。先進7カ国(G7)の公共投資の推移をみると、1991年を1とすれば、2023年には英国が4・4、カナダが4・2、米国が3・4、フランスが2・3、ドイツが2・2、イタリアが2・1といずれも伸ばしているにもかかわらず、日本だけが減少して0・9と、異様に低い値となっている。

実は政府投資は、各国の名目国内総生産(GDP)と大いに相関が高い。日本以外の国では0・9以上の高い相関になっている。政府投資は政策的に動かせるので、この高い相関は因果関係を示唆する。しかし、G7諸国の中で、日本だけが相関関係がないのがまったく不可解だ。公共投資の抑制も失われた20年と大いに関係がある。

しかし、財務省の報告書では、こうしたマクロ経済の基本的な事実を無視して、「労働市場の流動性を高めて海外から投資を呼び込もう」といった処方箋になっている。これは、まったくの筋違いだと言わざるを得ない。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

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