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日本名優列伝 中尾彬という俳優 二枚目からドスのきいた悪役にモデルチェンジ 本物のヤクザ顔負けの敵役演じた「極道の妻たち 最後の戦い」(1990年)

zakzak by夕刊フジ / 2024年7月25日 11時0分

貫禄が増して、演じる役も幅が広がった(夕刊フジ)

中尾彬は絵描きになるのが夢だった。だからパリ留学までしたのに断念して俳優になった。夢を断念した理由がふるっている。

フランス在学中のこと。ある授業で「塩と砂糖を描き分けろ」という哲学問答のようなテストが出たそうだ。中尾が頭を抱えていると隣の生徒がすらすらと描き始めたではないか。それを見て自分には才能がないと諦め、途中退学して帰国してしまったという。

だがただでは転ばないのが中尾のすごいところ。「似せようとするから描けなかった。しょっぱいことと甘いという気持ちを分けて考えればいいのだ」と後から考えて分かった。それを演技に生かそうとつながった。

何といっても人気を得たいならテレビで顔を売るのが早い。1978年から始まったテレビ朝日系「暴れん坊将軍」シリーズの徳川宗春役が大当たりしてブレーク。

さて80年代後半から「極道の妻たち」シリーズが人気に。主演はもちろん志麻姐さんこと岩下志麻。キャッチコピーは「さよなら、戦争を忘れた男たち」。草食系男子が増えたせいだろうか。

中尾が出演した90年の「極道の妻たち 最後の戦い」(山下耕作監督)はシリーズ4作目だ。ここでは中尾が悪賢くて憎たらしい敵役の中松組長を押し出しのいい体格で見事に演じる。本物のヤクザ顔負けだ。

デビューしたころは二枚目だったが、このあたりからドスのきいた悪役へモデルチェンジしていく。これが通用すると分かったらしい。

東映は当初、このシリーズ第4作を「極道の妻たち 完結編」と発表していた。ところが東映には「完結編」とするとコケるというジンクスがあった。そこで慌てて「最後の戦い」に変更したといういわくがある。

興行収入5億円のヒットとなったが中尾の功績は大きい。

千葉県木更津市のふるさと大使だった中尾。市長が中尾の死を悼んで千葉県木更津市のふるさと大使だった中尾。市長が中尾を死を悼んで「中尾彬さんメモリー」として市のホームページに公表した文章がある。「木更津PR大使4期目ご就任の際、木更津市が明るくなったと、いろんなものが日の目を見て活気につながっていると笑顔でお話しされたことを思い返し、追慕しております」と記している。いかに人生を誠実に生きてきたかが如実にわかる。 (望月苑巳)

■中尾彬(なかお・あきら) 俳優。1942年8月11日~2024年5月16日。81歳没。千葉県出身。61年に武蔵野美術大学油絵学科へ入学。同年に日活ニューフェース第5期に合格。翌年に日活を退社、大学を中退してフランスへ留学する。63年に帰国して劇団民藝に研究生で入団。1971年に民藝を離れ、各映画会社やテレビドラマで活動を始める。妻は女優の池波志乃。

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