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ドクター和のニッポン臨終図巻 医師・梁勝則さん 尊敬できる…こんな医者はもう現れない 差別を受けながらも必死に働き、育て上げたお母さまが優しさの源泉に

zakzak by夕刊フジ / 2024年6月17日 15時30分

梁勝則医師(夕刊フジ)

今回書かせていただくこの人の存在は、多くの皆さんが知らないかと思います。でも、「長尾にとって尊敬できる医者を3人挙げろ」と言われたら、僕は真っ先にこの人の名前を言います。偉大な先輩であり、畏友でもありました。

阪神・淡路大震災の被災者支援に続いて在宅ケアや終末期ケアに尽力、プライマリケアについて多くの発信をし続けた梁勝則(リャン・スンチ)医師(林山朝日診療所理事長)が、5月21日に神戸市内の病院で死去されました。享年68。死因は脳幹出血でした。

梁先生が倒れて入院した。重篤なようだと人づてに聞いたのは5月の声を聞いた頃。お見舞いに行かねばと思っていた矢先の訃報に、茫然(ぼうぜん)としました。

脳幹とは、大脳と脊髄をつなぐ生命活動にとても重要な場所。ここの血管が破れることで起きる脳幹出血は、脳出血のうちの10%程度を占めます。小さな出血であっても深刻な状態になるケースが多く、数時間で死に至ることもある病気です。

脳幹出血はある日突然発症します。呂律(ろれつ)が回らない、物が二重に見える、眩暈がする、手足や顔の感覚がおかしいと感じたら、すぐに救急車を呼んでください。

梁先生は数年前にがんを発症し、克服しました。がんになる直前、やはりプライマリケアに力を注ぐレジェンド看護師の宇野さつきさんと、熟年婚をなさいました。

「リャン先生、最高のパートナーと巡り合えて幸せでしたね…」

葬儀の日、祭壇の遺影に向かって僕は呟(つぶや)いていました。先ほど「畏友」と書きましたが、在宅看取りや認知症ケア、孤独死の問題に向き合うなど、僕がしていた仕事と重なるところが多くあり、最高のライバルと思っていた時期もあります。でも、僕よりも何倍も患者思いで、包容力がありました。

その優しさの源泉は、お母さまの生き方にあったのかもしれません。梁先生の母・春子さんは韓国生まれ。5歳のときに一家で日本に来ました。炭焼きなどで家計を助け、小学校2年生までしか学校に行かせてもらえなかったそうです。19歳でお見合い結婚。梁先生を含め子供を3人もうけましたが、夫がある日突然、家を出ていってしまいます。差別を受けながらも必死に働き、梁先生を立派な医者に育て上げた春子さんは、70代後半で認知症に。そんなお母さんのために梁先生は認知症の人のための施設をクリニックのそばにつくりました。僕は一度だけお母さんにお会いしましたが穏やかな人でした。

理不尽な目に遭っている人がいれば、絶対に放っておかない、見捨てない人でした。こんな医者は、もう現れないでしょう。梁先生、あなたと同時代に町医者として生きられて、僕は幸せ者です。

長尾和宏(ながお・かずひろ) 医学博士。公益財団法人日本尊厳死協会副理事長としてリビング・ウイルの啓発を行う。映画『痛くない死に方』『けったいな町医者』をはじめ出版や配信などさまざまなメディアで長年の町医者経験を活かした医療情報を発信する傍ら、ときどき音楽ライブも。

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