肘に怪我も「上がって来い」 “客寄せ”の1軍で快投…高卒ドラ1に「ホンマに痛いんか」
Full-Count / 2024年6月4日 6時50分
■牛島和彦氏は1年目に2勝をマーク…右肘に怪我をした状態で8月に昇格した
元中日投手の牛島和彦氏(野球評論家)は浪商(大阪)からドラフト1位で入団。プロ1年目の1980年は8月下旬に1軍昇格し、9登板で2勝1敗、防御率5.00の成績を残した。リリーフでデビューし、2試合目の登板で早くもプロ初勝利をマークするなど順調なスタートを切ったが、決して万全な状態だったわけではない。「8月に2軍で右肘を怪我したんですけど、それでもいいから上がって来いと言われたんです」。実際は見切り発車に近いものだった。
1980年、中利夫監督率いる中日は4月から最下位に沈み、結局浮上できずに終わった。なかでも一際散々だったのが、3勝14敗1分と大きく負け越した8月だ。そんな状況下で牛島氏は8月24日の巨人戦(ナゴヤ球場)でプロ初登板。1-6の9回に4番手で登板して1回を投げ、打者3人を無安打に封じたが、チームはそのまま敗れ、1分けを挟んで10連敗を喫した。牛島氏のコンディションも最悪だったという。
「2軍でバッティングピッチャーをやっていたら、ピッチャーライナーが右肘に当たって、裏側を内出血したんですよ。そんな時に上がって来いと言われたんです。僕は『無理ですよ。1イニングくらいしか放れません』と言ったんですが『それでもいいから上がって来い』って。『もうお客が入らないから』とか言われて……」。どうやら浪商時代に甲子園を沸かせた牛島氏の話題性を優先させた形での昇格だったようだ。
実際、デビュー戦は1イニング、2戦目は中5日で2イニング、3戦目は中3日で1イニングと無理使いされなかったが、周囲を驚かせたのは牛島氏がその間、1安打も許さなかったことだ。2試合目の登板だった8月30日の阪神戦(ナゴヤ球場)では1-5の8回から2番手で登板して2回を投げて打者6人を無安打。中日打線が8回に2点、9回には大島康徳内野手の同点2ランと藤波行雄外野手の中前適時打でサヨナラ勝ちを収め、牛島氏はプロ初勝利もつかんだ。
「あの時は阪神の先発が小林繁さん。負けていた8回から投げてノンプレッシャーだったんですよ。8回裏に2点とってくれましたが、それでもまだ2点差あったし、リラックスして投げたから0点で抑えられたんです。大した能力ではないですよ。9回裏に同点になった時は“延長戦はプレッシャーがかかる。サヨナラにして”って祈っていたらそうなったんですから。たぶん同点でマウンドに上がっていたら打たれたと思いますよ」
■「2回くらいしか投げられません」が…6回1失点で2勝目
とはいえ、3試合目の登板(9月3日大洋戦、横浜)も勝ち負け関係なしながら1回を投げて打者3人でピシャリ。デビューから計3試合4イニングを投げて、打者12人を無安打に抑えたことで、4試合目の登板(9月6日ヤクルト戦、ナゴヤ球場)では先発のチャンスが与えられた。だが、右肘にはまだ違和感があり「『いや無理ですよ、肘がまだ。2回くらいしか投げられません』と言ったら『2回で代えてやるから先発しろ』って言われたんです」。
結果は6回2安打1失点で2勝目をマーク。2回に杉浦亨外野手に本塁打を浴びて失点したのが、プロ初被安打でもあった。「杉浦さんには弾丸ライナーで打たれましたね。肘が痛かったけど、6回を投げて、あとの3イニングは(鈴木)孝政さんが(打者9人)パーフェクトで抑えてくれて勝ったんですよね」。
その試合で牛島氏はプロ初打席初安打も記録した。「(ヤクルト先発の)鈴木康二朗さんからセンター前ヒット。すーっと放ってくれた真っ直ぐを打ったんですが、次の打席はシュートもスライダーも来たんですよ。どっちもえぐかったです。(プロで)勝っているピッチャーはこうなんだなって思いましたね」。この経験もプラスにしたようだが、それにしても右肘の状態の悪さを感じさせない結果続きだ。
「試合になったらアドレナリンが出て痛みなんか忘れてしまうじゃないですか。でも、結果が出たら、“お前ホンマに肘が痛いんか、2イニングしか投げられないとか言っていたけど嘘言っているだろう”とかなって……」と苦笑い。デビュー時からそんなことを言われるルーキーもそうはいないだろう。
■稲尾和久コーチの質問に「状況によって変わってくるのでわかりません」
1年目の牛島氏といえば、稲尾和久投手コーチの投手陣への「2死満塁ツースリー(フルカウント)で何を投げるか」の問いに対して、他の投手が得意球などを口にした中、「どうやってツースリーになったか、状況によって変わってくるのでわかりません」と答えたことでも知られる。
「怒られてもいいやと思って言ったんですが、『それでいいんだ』って言ってもらって、ああよかったの世界でしたけどね。稲尾さんはのちに講演とかでも、この時の僕の話をしてくれたそうで、高卒1年目でそんなことを言っていたんですよと褒めてくれていたよって聞いて、うれしかったですね」
ちなみにアミューズメント事業などを手がけ、現在、牛島氏が代表取締役を務める「株式会社ツースリー(本社・名古屋市、1988年設立)」の会社名は、この稲尾氏とのエピソードにおけるカウント「ツースリー」からつけたという。「稲尾さんに褒めてもらったってことでね」。
首脳陣に「本当に怪我をしていたのか」と大真面目に疑われたり、西鉄時代に「鉄腕」と言われた名投手でもある稲尾投手コーチを理論でうならせたり、19歳のプロデビューの年から牛島氏は中日で伝説を作った。そして、それはまだまだ……。2年目以降もグラウンド内外で大物ぶりを発揮していくことになる。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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