広島投手とコーチの大喧嘩…鬼軍曹が仲裁「やめい!」 酔い吹っ飛んだ“相撲部屋直行”
Full-Count / 2024年5月19日 6時50分
■山本浩二監督になった1989年、白武佳久氏は池谷コーチと口論になった
1989年シーズン、広島監督にミスター赤ヘル・山本浩二氏が就任した。中日・星野仙一監督が就任1年目(1987年)にユニホームをメジャーリーグのドジャースモデルにしたように、山本カープもレッズモデルに変更。乱闘騒ぎもあった山本広島と星野中日の“親友対決”は話題にもなった。先発もリリーフもこなした白武佳久氏(現・広島スカウト統括部長)は当時プロ7年目。この新体制下で、つい熱くなってしまったことがあったという。
“投手王国”ゆえに、出番はローテの谷間もあれば、ロングリリーフや1/3だけ投げることもあったが、白武氏は与えられた登板機会を懸命にこなしていった。地方球場でもよく投げた。「昔は狭い球場とか多かったですしね。みんなが嫌がるところでよく投げさせられたイメージはありますね」と苦笑する。「ようは便利屋。そういう感覚でしたね。いつでも行けるように調整もしないといけなかったですからね」。
グラウンド外では仲の良い川端順投手や川口和久投手らとよく繁華街に繰り出し「カラオケで僕はハモり役、メロディーは川端さんでしたね。酒は川口さんや川端さんの方が強かったですよ」と話したが、そんなオン、オフの切り替えもうまくできないとやっていられないくらいだったのだろう。グラウンドでは常に気が抜けない日々。経験した人でなければ、わからない気苦労などもあったようだ。
そんな中で、白武氏の投球回は1986年から100イニングを超えた。阿南準郎監督のラストシーズンとなった1988年は24登板(15先発)、5勝4敗、防御率は自己最高の2.89をマークした。そして1989年、山本体制になった。新たに“鬼軍曹”大下剛史氏がヘッドコーチに、投手コーチには池谷公二郎氏が就任した。「僕は浩二さんや池谷さんが現役の頃、2人に付いてバッグ持ちをしていたんです。浩二派だったんですよ」とさらにやる気になったという。
ところが、思わぬ一件が起きてしまった。「池谷さんに僕がキレちゃったんですよ。打たれた次の日に(名古屋市の)中日の屋内でピッチングして、後輩の紀藤(真琴投手)とか若いのがいたから『ホームをならしといて』ってなるじゃないですか。そしたら池谷さんに『お前が自分でならせ、打たれたくせに』って言われてカチンときてしまった。『池谷さんも打たれたことはナンボでもあるでしょう。その次の日にやっていたんですか!』ってね」。
■大下剛史氏ヘッドコーチが収めた口論「やめ、やめい!」
白武氏も若手時代にやってきたことだけに、納得できなかった。「『そんなの後輩がやるのは当たり前じゃないですか、池谷さんはやっとんたんですか! ワシは間違ったことはひと言も言っていません』と言ったら『何ぃ』ってケンカになった。それを大下さんが『やめ、やめい!』って止めたんです」。しばらく両者ともに怒りが収まらなかったそうだが、最終的には白武氏が池谷氏に謝罪して終わったという。
「池谷さんは、とにかく“監督を優勝させたい”“浩二さんを男にするんだ”っていう思いが強かった。あの時も負けた後だったからぶつかってきたんです。別に悪気があったわけではないというのは、だいたいわかって……。僕も逆らうつもりはなかったし、大下さんが間に入ってくれて、和解しました」。溝が完全に埋まったわけではなかったようだが、山本監督の下で優勝したい、勝ちたいという気持ちは同じ。そう考えて再び、前を向いた。
この年は白武氏と川口氏と川端氏の3人が名古屋で朝帰り、それを大下ヘッドに見つかって、そのまま他の投手陣も含めて大相撲の九重部屋の朝稽古見学に行かされたこともあったという。大下ヘッドと当時の九重親方(元横綱北の富士)が親しい関係にあったことで実現したものだったが「確か大下さんは来なかった。池谷さんが一緒に行ったと思います。その時は池谷さんとも和解していましたけどね」と笑う。
「ぶつかり稽古がすごかった。北勝海(現・相撲協会理事長)が目の前でバチバチやるんですよ。(ホテルに)帰ってすぐだったけど、僕は一気に酔いが吹っ飛びましたね。それにちゃんこがうまかったのは覚えていますよ。大下さんは違うスポーツで勉強させてやろうと思ったんじゃないですか。(朝帰りの)罰としてね」。そうは言いながらも、一睡もせずに、相撲部屋に行っているのだから精神的にも肉体的にも決して楽ではなかったはずだ。
白武氏は、1989年オフにロッテにトレード移籍となるため、山本広島の一員としてプレーしたのは、この、わずか1シーズンだけだったが、自身にとっては、乱闘も辞さない星野中日との激しいバトルよりも、身内で起きた出来事の方が熱かったかもしれない。もちろん、それもまた若かりし頃の懐かしい思い出。そんな時代を乗り越えて、たくましくなり、現役生活は続いていった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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