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最強打者の骨折で「甲子園は無理かも」 溢れた“悲観的”な声…突然回ってきた4番

Full-Count / 2024年5月28日 6時50分

元中日、ロッテ・牛島和彦氏【写真:山口真司】

■牛島和彦氏は2年の秋季大会で準優勝も…近畿大会を前に香川伸行捕手が離脱

「甲子園出場は無理じゃないか」の声に発奮した。1978年の秋季近畿大会で牛島和彦投手(元中日、ロッテ、現・野球評論家)がエースの浪商は優勝し、2年連続での選抜出場をつかんだ。1回戦は興国に9-2(8回コールド)、準々決勝は東洋大姫路(兵庫)に6-5、準決勝は箕島(和歌山)に11-4(8回コールド)、決勝は尼崎北(兵庫)を7-3で下した。4番の香川伸行捕手(元南海)が怪我でスタメンから外れた中、浪商ナインの意地が爆発しての優勝でもあった。

 当時の浪商はエースの牛島氏とともに、4番・香川捕手の強打は大看板だった。「香川はすごかったですよ。(大体大付属)中学の時から関西では有名でしたしね。(浪商では)1年の時からもうバッティングは別格でしたね。パワーというか、遠くへ飛ばす力は持っていましたね」と牛島氏も舌を巻くばかり。まさに頼れる4番がいたおかげで、チームも強くなった。牛島氏らが2年生だった1978年秋季大阪大会も順調に勝ち上がった。

 浪商、PL学園、興国、岸和田の4校による決勝リーグ戦となり、浪商は2勝1敗の2位で通過した。負けたのは小早川毅彦内野手(元広島、ヤクルト)、山中潔捕手(元広島、ダイエー、中日、日本ハム、ロッテ)、阿部慶二内野手(元広島)らが主力のPL学園だった。「1-3で負けましたね。PLのピッチャーはアンダースロー。ウチの打線はそういうタイプに弱かったんです。本格派には強いんですけど、軟投派は苦手だったんですよねぇ」。

 秋季大阪大会をPL学園に次ぐ2位で近畿大会に出場するのは、前年の1977年と全く同じパターンだったが、大きな違いがひとつあった。「大阪大会で香川が、右手の人差し指だったと思いますが、骨折したんですよ」と牛島氏は話す。4番打者のまさかの怪我はチーム内外にも衝撃を与えた。「学校中で香川が出られないのなら、近畿大会は厳しい、選抜出場は無理かも、みたいな話が広まったんです」。その話を知って浪商ナインは気合を入れ直したという。

■“悲観論”渦巻く中で優勝…牛島和彦は投打に活躍した

「同級生とかみんなが“香川ひとりで野球をやっているんじゃない”って言ってね。何かそれで結束したというか、パッと力が出せるチームになったんですよ」。その結果が近畿大会優勝。牛島氏が4番打者を務め、準決勝の強豪・箕島戦では3安打3打点と打つ方でもチームを盛り上げた。「投げて、打って。近畿大会は準決勝、決勝と1日に2試合投げたんじゃなかったかなぁ」。チームの誰もが気迫で香川不在を乗り切ったのだ。

「あの近畿大会はPLとか箕島とかがいる中での優勝でしたからね。香川が(スタメンで)出られないのに優勝したから、今度はこれに香川が加わったら、ものすごく強くなるんじゃないかって話がパーッと広がって、選抜の優勝候補みたいにも言われるようになったんですよねぇ」と牛島氏は笑みを浮かべながら振り返った。実際、翌1979年の選抜で浪商は準優勝。細身の牛島氏と、ぽっちゃりの”香川捕手の浪商バッテリーはさらに脚光を浴びた。

 水島新司氏が作画の名作野球漫画「ドカベン」の主人公・山田太郎捕手に体型と豪打が似ていたことから「ドカベン」と呼ばれた香川の人気はうなぎのぼり。同時にイケメンエースの牛島氏も女子高生らに騒がれる存在になった。「僕はあの時、香川のおかげで注目されたんですけどね。漫画のドカベンのピッチャーの里中(智)も小柄だったんでね」と牛島氏は言うが、この選抜以降、里中とは違うヤンチャなイメージもまた拡散されることになる。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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