1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. 野球

わずか3年間で戦力外…21歳で“引退宣言”も「まだできる」 2軍1登板から目指す逆襲

Full-Count / 2024年6月6日 7時10分

姫路イーグレッターズ・谷岡楓太【写真:球団提供】

■2020年から3年間、オリックスに在籍した谷岡楓太「全て最初からです」

 1度は諦めた夢を、また追いかける。2022年オフにオリックスから戦力外通告を受けた谷岡楓太投手が、関西独立リーグの姫路イーグレッターズで再びのNPB復帰を目指して懸命に右腕を振っている。

「1度リセットになったので、全て最初からです。投球フォームも改良しています。クビになってから、気づいたことがたくさんありますね」

 2019年の育成ドラフト2位でオリックスに入団。武田高(広島)の2年秋に最速152キロを計測するなど、逸材としての雰囲気を醸し出していたが現実は厳しかった。2022年までの3年間で2軍公式戦での登板は1試合のみ。新人時代の2020年に唯一の公式戦登板を果たしたが1回を3安打3四球3失点。悔しい経験しか残らなかった。

 育成ドラフトから3年を終え「結果が全然出ていなかったので、もう結構厳しいだろうなと思っていました。基本は3年だと思うので……」と戦力外を覚悟した。その矢先に「スーツを着てきてくださいと(球団から)電話をもらった時に『やっぱりダメかぁ……』と少し落ち込みましたね」と振り返る。

 落胆ではなく落ち込み加減が“少し”だったことには「僕はトライアウトは受けていません。右肘が悪くて……」と頭をかく。「プロ3年目は注射を打ちながら投げてました。だけど、治りませんでした。そこでクビになった。右肘の状態が悪いのと戦力外のタイミングが重なったので『もう野球はいいかな……』という心境になりました」。21歳の時、1度は決断を下した。

「野球、辞めましたね。完全に。引退です。ケジメをつけました」

 白球を置き、ユニホームを脱いだ。野球の存在を忘れかけたこともある。ただ、半年後の2023年3月に“転機”が訪れた。「父親とキャッチボールしようとなったんです。実家の近くにある公園で『遊び感覚』で投げると痛みがなかったんです。全然、痛くなくなったので、まだ本気でできるんじゃないかなと思ってしまいました」。知人の紹介で9月からは社会人野球チーム「広島鯉城クラブ」に所属した。

■戦力外通告から1年後の“初ブルペン”で148キロを計測…「これ行ける!」

 久々に持つ縫い目は、新鮮だった。「(昨年)10月末に沖縄のウインターリーグに参加させてもらって、戦力外を受けてから初めてブルペンに入りました。そこで148キロが出たんです。野球から1年も離れていたのに……。その時に『これ行ける!』と思いましたね」。晴れやかになった心が、再び曇った。

「試合で投げる前に1度、ライブBPで投げたんです。5球くらい投げたら、右肘がパキって鳴ったんですよね。その瞬間に力も入らなくなって……。すぐに(参加を)辞退しました。12月に右肘を手術しましたね」

 1度は死んだ身。野望を追いかける覚悟がある。順調にリハビリ生活を終え、今年5月から姫路イーグレッターズの一員として活躍している。すでに実戦復帰を果たしており「155キロを狙いたい。試合経験を積んでいきたいですね。(監督の)海田さんから電話を頂いて(所属が)決まったので、恩返しがしたい」と飛躍を誓う。

 同じ轍は踏まない。「投げる前の準備や気持ちの整え方など……。落ち着いて動画を見たら修正できるんですけど、あの3年間は冷静になれませんでした」。暗闇だった野球人生に、一筋の光が差し込んでいる。(真柴健 / Ken Mashiba)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください