勝てなすぎた西武に“絶望”「ちょっと不安」 5回を終えたら帰る観客、厳しかった船出
Full-Count / 2024年6月17日 7時10分
■西武ライオンズ1年目の1979年は前期6位、後期5位…開幕から12連敗を喫した
新生ライオンズに記念すべき勝利をもたらした。弟の雅之氏と一緒にプロ入りし、「兄やん」の愛称で親しまれた野球評論家の松沼博久氏は、アンダースローの先発として西武一筋で112勝をマークした。「プロで勝つってこういうことか、と感激しました」。自身も西武ライオンズも“ルーキー”だった1979年シーズンを振り返った。
クラウンライターから西武となったライオンズは第2次キャンプ、オープン戦と50日間以上に渡る米国滞在を終えて4月3日に帰国。突貫工事が完了した埼玉・所沢の真新しい本拠地、西武球場(現ベルーナドーム)での初練習は翌日の4日だった。国内チームとの対外試合は1度もできないまま、慌ただしく公式戦に突入した。
「僕は新人なので、チームの状況はよく分からなかった。とりあえず開幕1軍に抜擢されてて、自分の最初の登板日は聞いていました。でもキャンプでサインプレーとかを、あまりやってなかったので、その辺はちょっと不安でしたね」。松沼氏の「ちょっと不安」は「あそこまで負けるとは思わなかった」の現実になっていく。
4月7日にセ・パ両リーグが開幕した。西武は敵地・日生球場での近鉄戦。エース東尾修投手が完投、打線は8安打を放つもつながらず0-3で敗れた。「負けましたけど、東尾さんが力投してチームとしては割といい内容だったと思いました」。
4月12日。相手の阪急の持ちゲームながらライオンズは前年までの本拠地・福岡の平和台球場に“里帰り”。松沼氏は先発でプロ初登板した。「僕も結構打たれました」と言うものの5回4失点。8三振を奪った。だが、チームは結局0-11と惨敗し、5連敗となった。
2日後の14日、西武球場はこけら落としの一戦。福田赳夫元首相が始球式を行い、観衆2万8000人とほぼ満員の中、日本ハムと対した。7失策の守乱で1-7の完敗。以降も2引き分けを挟んで開幕からの連敗は12までのびてしまった。「ベンチの雰囲気はあまり変わらなかったんですが。連敗中はエラーが本当に多かった。キャンプで細かい練習ができなかったので、間に合わなかった」。
■野村克也に学んだ配球…シーズン45勝中、16勝を挙げて新人王
開幕15試合目の4月24日。新生「西武ライオンズ」待望の初白星は、松沼氏の手によってもたらされた。南海打線を8回2失点に抑えた。最後は変則サウスポーの永射保投手が締めて4-2。ホーム球場の右翼上空には花火が打ち上がり、選手たちは勝った時だけ登場できるバックネット裏から観客席中央を通る階段を歩いた。
「本拠地でしたから、ライオンズのファンが多かった。勝った瞬間『ワー、バンザーイ』みたいな凄い大喜びをしてくれた。今でも覚えていますよ。プロで勝つってこういうことか、と感激しました。それまでは西武球場でも『どうせ負けるんだろう』と5回を過ぎたら、諦めて帰るお客さんが沢山いました。それが試合の最後までいてくれました」
西武は前期6位、後期5位でシーズン通じては45勝73敗12分けに終わった。西武にとって甘くはなかった初年度。その中で松沼氏は16勝で新人王に輝き、希望の光を灯した。社会人野球出身の即戦力として入団し、「自分では『俺はプロでもできるよな』って気持ちはありました」と述懐する。同時に「他の投手の時はエラーは出るわ、打てないわというチームでした。でも僕の時だけ何故か良い思いをさせて貰いました」とナインに感謝する。
松沼氏は、当時44歳の野村克也捕手(元南海、ヤクルト、阪神、楽天監督)とバッテリーを組んだ経験が忘れられないという。「野村さんは穏やかな方なんですよ。試合中もそんなにピリピリしていない。ストライクゾーンを大きく使う、ボール球の使い方が一番勉強になりました。必ず相手打者が振ってくるようなデータがあれば、ボール球のサインを出してくる。フルカウントでも。それで本当に振ってくるのです」。
西武ライオンズ&松沼氏の初勝利のウイニングボールは、東京ドーム内にある野球殿堂博物館に展示されている。「自分では初勝利の意識なんか全然ないんだけどね。解説のラジオ中継で初勝利の時の話をしていたら、聴いていた博物館の人から『貸して頂けますか』って事になって。『いいよ、別に俺、飾ってるわけじゃないし。探せば出てくるよ』と答えたんです」。
「探せば」とは? 「最初の頃は初勝利のボールから2勝目、3勝目……10勝目とか書いていました。途中からは節目だけにして。100勝目とかは取ってあるはずだけど」。通算112勝だが、「手元に何個ボールあるんだろうねぇ。全部紙袋に放り込んでいました。そこから1勝目も探し出したんですよ」。アバウトな構えの捕手が好きな松沼氏は、実におおらかな投手なのだった。(西村大輔 / Taisuke Nishimura)
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