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忘れられない41年前の夏 逃した“大金星”…痛恨だったPL清原への「隠し切った1球」

Full-Count / 2024年6月24日 7時10分

オリックスのファーム用具担当・山内嘉弘氏【写真:北野正樹】

■オリックス・山内嘉弘氏が回想する1983年夏、強豪・PL学園との準決勝

 優しい眼差しで選手を見つめ、ボールケースを運ぶ姿にもドラマがある。オリックスのファーム用具担当を任されている山内嘉弘氏は、1983年夏の大阪予選で強豪・PL学園を追い詰めた過去がある。

 大阪・茨木東高のエースだった山内氏は準決勝のマウンドに立ち、当時1年生だった清原和博氏らと対峙した。「もう、当たって砕けるしかないなと思っていましたね。気持ちだけは負けないでおこうと。無名校だったので、頑張れるだけ頑張ろうと思って投げました」。大金星は“目前”だった。

 1-0と1点リードで迎えた8回裏の守備。先頭で清原氏を迎えた。3年生だった山内氏は「その試合、清原に対しては真っすぐとスライダーだけでいってました。横の曲がり球(スライダー)で勝負したら、うまいこといっていたんですよね」と明かす。理由は簡単だった。「他の高校でPLと当たった投手から。『清原は縦のドロップ系を投げても打たれるよ』と言われていたんです」。試合中盤までは素直に忠告を守り、封じることに成功していた。

「相手(PL学園)はうちのことを舐めてくれるだろうなと思っていたんです。7回ぐらいまでうまいこといけば……。『これ勝てるぞ』っていう感じの試合でずっと来た。初めに(茨木東が)点を取れたので、逃げれるだけ逃げようと思っていました」

 夢中になってマウンドで奮闘し、スコアボードに0を並べてきた。残すは2イニング。ただ、ふと頭に浮かんだのが「隠し切った決め球」だった。「僕のウィニングショットがドロップカーブだったんですよね……」。最後の最後で“勝負”してしまった。

■簡単に考えた「1球なら、いけるだろう」が“誤算”

「ここまで隠したから『1球なら、いけるだろう』と思って投げたんです。自分のウィニングショットで、自信もありましたから……。ただ、それが間違いでした。打たれた瞬間、フェンスに打球がカシャンって当たる音がしました。左中間に二塁打。もう、レーザービームぐらい速かったですよ……」

 その1球の衝撃から立ち直ることができず、まさかの2失点。1-2と逆転負けで“番狂わせ”は起こせなかった。3年生だった山内氏の夏が終わった。「でもね、もう、悔しいとかそんなんはなかったですよ。『あ、やっぱり強いな』って思った。それと、一緒にやってた仲間と最後まで野球ができたのでよかったですね。PLに負けたのも良い思い出ですから」。にこやかに当時を振り返ると「仮に、ですけど。僕ら(茨木東)が甲子園に出るよりか、PLが出た方がいいなと思えました。野球界も盛り上がるだろうし。それに……。そんな大それたこと考えたらあかんですわ」。

 山内氏は近大を経て1987年ドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。1985年ドラフト1位で西武に入団した清原氏と同じパ・リーグだった。

「その時、桑田くんとか清原くんがすごく活躍していたので。一応、昔に対戦していたんですけど『俺のことは知らんよな、覚えてないやろな』と思いながら投げてました。(清原氏を)最初の方は抑えられていたんですけど……。(1年目の)シーズン後半は、2日に分けて3打席連続ホームラン打たれたことも思い出です」

 灼熱の太陽と清々しい海風が、今年も心地よい。(真柴健 / Ken Mashiba)

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